HOME検索
ようこそ、「スネークパパの掲示板」へ。お気軽に投稿いただければうれしいです。(『スネークパパの部屋』管理者イレブン)

■■イレブンへの連絡先■■ メール:hal9000jp@ace.ocn.ne.jp ■■■■
名前
題名

内容
画像1
画像2
画像3
画像4
修正キー (英数8文字以内)

 【パイオニア号】69HT1165B♂――遠い想い出――消えることのない鳩の魅力  イレブン  2019年2月2日(土) 6:30
修正
昨夜、遠い昔、鳩舎訪問して鳩を見せていただいたことがあるNさんより自宅に電話がありました。昨日は、連合会の春レースの80K訓練の持ち寄りだったので、お電話があったときは、イレブンは自宅にはいませんでした。持ち寄りから家に帰ると妻が「Nさんという昔鳩を飼っていた人から電話があったよ」といってNさんの名前と住所と電話番号をメモしたした紙を渡されました。

不思議なことに、その名前と住所を見た瞬間にNさんの鳩舎に訪問したときの映像が突然、頭の中に蘇りました。自分でもびっくりしました。きっと本当に印象深かったのでしょう。

日差しの強い日、お住まいの2階にある狭い洗濯物干し用のベランダみたい所に作られた半坪程の鳩舎だったような気がします。イレブンが住む街の中心にある繁華街のどまんなかに住んで居られました。訪問した時、イレブンは、まだ中学生3年しか高校1年生ぐらいの時だったように記憶しています。

当時、イレブンはNさんと同じ競翔連合会に所属していました。鳩舎訪問の目的は、当時驚異的な記録を打ち立てた銘鳩パイオニア号を見せていただくことでした。妻が渡したメモを見たときにそのパイオニア号を掴ませていただいた時の印象まで蘇ってきました。

素晴らしい柿目の明るい二引きの雄鳩でした。骨格がしっかりしたとても軽い鳩でした。掴んだときの感触まではっきりとと蘇ってきました。

ちょっと時間も遅かったのですがNさんに電話をいれました。私がNさんのことを今でも覚えていて、鳩舎にも訪問したことがあることを伝えると、Nさんはとても驚いておられました。

Nさんがパイオニア号で活躍されていたのは、Nさんが大学生の頃でした。卒業するとき鳩を止め、東京に就職され定年退職されるまで東京で過ごされていたそうです。

現在70才とのこと。地元に戻り生まれ育った所に新しく建てられたマンションにお住まいとのことでした。鳩を飼える環境ではないけれど、時折空を飛び去るレース鳩の集団を目にする度に、鳩レースに夢中になっていた遠い昔の熱い自分を思い起こされていたそうです。

鳩飼い人ならこの気持ちよく分かりますよね。

たまりかねたNさんは日本鳩レース協会に電話され、自分が住んでいる街に住む愛鳩家を紹介してほしいと尋ねたところ、イレブンの名前と連絡先を教えられたそうです。たいして有名でもないイレブンの名前がなぜ協会の方から出てきたのかとても意外でしたが、これが、イレブンに電話された経緯でした。

イレブンにとってはなんとも不思議な感激の出来事でしたが、そのNさんは、今度の日曜に来られることになりました。

後で調べてみると、古い「鳩舎原簿」にイレブンが銘鳩パイオニア号の直仔を持ってたことがわかりました。

パイオニア号は、Nさんが鳩を止められる際にあのグルッペ系の猿渡実鳩舎(故人)が引き取られ、イレブンが持っていた鳩はその猿渡さんの作出によるものでした。

日曜日の再会が楽しみです。何しろ半世紀近い時を隔てた出会いとなるのですから……。

いつまでも忘れることの出来ない鳩の魅力って不思議ですね。昨夜はつくづくそのことを考えさせられました。

 パイオニア号資料  イレブン  2019年2月2日(土) 8:35 修正
パイオニア号の直仔をもう一羽所持していたようです。こちらのほうが系統の詳細が分かります。この系図からすると、二引きのラインは、今西・西川のラインから出ていることになりますね。納得です。隔世遺伝の銘鳩だったようです。

パイオニア号の母方の父67VE0592B♂吉谷作後藤使翔200K1位300Kが今西・西川です。吉谷氏は地元では、今西系西川系を使っておられる鳩舎のして有名でした。イレブンも、中学生の頃、幾度もお邪魔していました。この西谷氏は、イレブンが再開した頃、一度お邪魔したことがあります。その頃、今西系の継承者として著名な山本雅嗣さんhttp://www.aikyunotomo.co.jp/topics/topics_1207_04.htmlとお付き合いをされていました。やはり、銘鳩は必ず銘血に行き着くものですね。

 パイオニア号が語りかけてくること  イレブン  2019年2月3日(日) 6:30 修正
ここ数日考えているのですが、イレブンの記憶では、このパイオニア号の画像を以前「愛鳩の友」で見たことがあるような気がしています。何かの勘違いかも知れませんが、どうもそんな記憶がかすかにあるのです。それは、猿渡実さんがご自身が確立されたグルッペ系を旗揚げされた時の紹介ページの中のあったような気がするのです。これまた資料を探し出すのに相当な時間が必要なので、いつのことになるか分かりませんが、気にとめておきたいと思っています。

さて、鳩舎原簿に書き写していた【パイオニア号】の系図により、パイオニア号の翔歴や直系の活躍をうかがい知ることが出来ます。イレブンが所持していたパイオニア号の直仔2羽については、雄の方の記憶ははっきりとしないのですが、雌の【0199】については、明瞭な記憶が残っています。参考のところに「小柄な鳩で肉質が良い。仔出しの点で最高である」と書いていますが、その通りの鳩でした。ドス灰の小型の木刀型の体型の鳩で、魅力的な白石目を持った鳩でした。広島で言われていたいわゆる「勢山の白石目の雌」でした。父親のパイオニア号は、高い食い込みのあるキールだったように記憶しています。目は、この0199と同じ構造で輝きのあるグリーンがかった柿目でした。この2つの点から在来銘系の勢山・今西に戻った隔世遺伝の銘鳩だと考えています。

それにしても、自身の翔歴も見事ですが、直仔700キロ当日8羽とは、驚異的です。現在でも、これだけの成績を生み出している鳩はイレブンの地元にはみられません。パイオニア号のような力がある鳩たちがいたことで1000キロ、1100キロ、そして稚内1700Kと続く時代が築けていったように思います。1000キロでさえ難しくなった現在、在来銘血の復活からその活路が開けないかとイレブンは考えて日々精進しているところです。

画像:2019年春レース参加予定の源流系選手鳩 

 素晴らしい掲示板です  スネークパパ  2019年2月1日(金) 20:21
修正
素晴らしい掲示板です
特に 目の構造が よくわかる写真の撮り方も完璧です
イレブンさんも 大変と思いますが 頑張ってください
楽しみにみております


 スネークパパさんお帰りなさい!!  イレブン  2019年2月1日(金) 20:49 修正
長旅でしたね。これからも、時々でかまいませんので、息子さんのパソコンからの投稿よろしくお願いしますね。

画像:源流系最高基礎鳩【源流ブラッククイン号】3代目スネークスター号の直仔

 スネーク直弟子会コーナーの開設の件  イレブン  2019年2月1日(金) 21:04 修正
以前の掲示板の時に設置しておりました「スネーク直弟子会コーナー」につきまして一言お詫びを申し上げます。

現在のHPの全面リニューアルの際して、一気にそこまで取りかかることが出来れば良かったんですが、未だに、開設できずにいます。当時のデータは保存しておりますので、いずれ、じっくり時間がとれる夏ぐらいまでには復活させるつもりですので、しばらくお待ちいただければと思っております。

   勢山竹材店  2019年1月28日(月) 14:12
修正
〈第6章 石鍋丈吉 infomation〉を たまたま勢山を検索中に 見せていただきました。

 文中、筍堀りの写真が、昭和10年代とあり、人物が勢山庄太郎や服部愛之助氏では?と書いてありますが、それは全く間違っています。
 
 あの写真に写っている人物は、庄太郎さんや服部さんでは全くありません。 戦前のお二人であれば もっと裕福なノーブルな雰囲気を身に纏っておられましたし、奉公人を供に何人か連れて行き、自身で筍を掘るようなことは全くありません。
 
 戦前の写真を見たことも 話を聞いた事もありますが、
アメリカの大学を卒業し、アメリカの株の配当だけで裕福に暮らしておられた服部氏と結婚した千代伯母様達は、まさに戦前の裕福な船場の嬢さんを絵にかいたような方で、背も高く美しく、山(勢山では、所有の竹林を山と呼んでいました)での野点の写真であっても、何と贅を凝らした装いかと、戦前の贅沢な暮らし振りが窺えるものばかりでした。
  
 あの写真は、戦後、まだ世の中全体が貧しい昭和20年代後半に、孝蔵の弟
である四郎が、子らを連れて山に筍堀りに出かけた際の写真です。

 

 

  勢山竹材店様 ご指摘ありがとうございます。  イレブン  2019年1月28日(月) 22:49 修正

 ・  イレブン  2019年1月28日(月) 22:52 修正
筍掘りの画像の人物を誤って推測して大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ございませんでした。また、あの画像が昭和20年代の勢山四郎様の画像だということも教えて頂きありがとうございました。早速訂正しておきます。

何しろ勢山庄太郎氏が確立された勢山系は100年を経た今でも銘鳩を排出し続けている我が国が誇る銘血統です。しかしながら、それほどの銘系を確立された勢山庄太郎氏のご自身の情報となると、戦後の日本鳩界の中では極めて限られた情報しか伝聞されていませんでした。特に勢山庄太郎氏の画像は、戦後鳩界誌に一度も登場していない状況でした。

そんな中で 勢山竹材店様のHPの画像から、安易に推測してしまった次第です。誠の申し訳ございませんでした。

しかし、その後色々調査を続けて昨年秋に、やっと勢山庄太郎氏の画像を発見することが出来、このHPで発表したところでした。

それがこの画像です。この画像は、国立国会図書館の所蔵されている戦前の我が国で初めて発刊された鳩界雑誌「鳩」に掲載されていました。

この画像とともに、戦前の鳩界誌にこれまで知らされていなかった勢山庄太郎氏の実像を知る手がかりとなる資料が見つかり、この掲示板で調査して明らかになった事実等を公開した次第でした。

折角ですので、その際の記事の一部を再度ここに掲示させて頂きます。

誠に勝手なお願いで申し訳ございませんが、勢山庄太郎氏のことを色々教えて頂ければと願っております。こちらからご連絡をとらせて頂きます。よろしくお願いします。

 イレブン編■勢山庄太郎 人物年表■  ◇  2018年11月17日(土) 4:58  イレブン  2019年1月28日(月) 23:11 修正
下の■「『関西鳩界の重鎮 勢山氏との初対談記』 並木安一」から見えてきたこと@■人物年表■のレスを別項として編集できるようを頁を新しくしました。今後の加筆・修正及び考察の記述を簡単にするためです。

 ■勢山庄太郎 人物年表(※参考として鳩界事跡も付記)■  イレブン  2018年11月17日(土) 4:59  イレブン  2019年1月28日(月) 23:12 修正
【 0歳】1874年(明治7年)誕生
【2歳】1876年(明治9年)※日本初京都→奈良25キロ鳩レースが開催
【5〜6歳】1880年前後(明治13年頃)鳩を飼い始める
【20歳】1894年(明治27年)※日本初民間愛鳩家団体「大阪鳩楽会」発足、勢山庄太郎も会員となる(推測)
【40歳】1914年(大正3年)※「大阪鳩楽会」が名称変更して「大阪好鳩会」となる
【44歳】1919年(大正 8年)※3月31日クレルカン中尉及び1000羽の伝書鳩来日
【45歳】1920年(大正 9年)
【46歳】1921年(大正10年)
【47歳】1922年(大正11年)※4月クレルカン中尉ら3人帰国
【48歳】1923年(大正12年)5月雑誌「鳩」創刊、出版社大阪鳩園社の本社特別賛助員就任
【49歳】1924年(大正13年)
【50歳】1925年(大正14年)4月20日 東京師岡邸にて「愛鳩家の集い」に出席
【51歳】1926年(大正15年)雑誌「鳩」2月号に勢山庄太郎「鳩の優劣鑑別法」が掲載、10月23日【SS278号B♀】生まれる
【52歳】1927年(昭和2年)
【53歳】1928年(昭和3年) 10月19日【SS375B♂】生まれる
【54歳】1929年(昭和4年) 5月25日釜山→大阪600Kレース翌日帰還優勝【SS278B♀(2歳)】、【SS375B♂(当歳)】後日帰還、大阪御堂筋通りにてオープンカー3台でパレード、※並河靖(当時16歳)勢山庄太郎の存在を知る
【55歳】1930年(昭和5年)
【56歳】1931年(昭和6年)
【57歳】1932年(昭和7年)東京並木安一宅訪問
【58歳】1933年(昭和8年)5月28日逝去(59 歳)

 勢山エスエス系研究B−1 勢山庄太郎とその時代  イレブン  2018年11月4日(日) 22:42  イレブン  2019年1月28日(月) 23:14 修正
■この章で目指していること■

 秋レースも終わり、優勝1回、入賞6回という過去最高の秋レースの成績でした。これから、レース結果を振り返って、成果と課題を分析し、明年の配合計画に参考にしたいと思っています。途中から始めた「ミュニエ号研究」も、しばらく、調査期間に入りますので、連載継続中だった「勢山エスエス系研究」を再開します。

 「勢山エスエス系研究B」ではいよいよ勢山系創始者勢山庄太郎その人に焦点を当てて調査研究を進める考えです。これまで勢山系の研究は数多くだされてきましたが、そのほとんどは、終戦の年に服部氏から勢山系を継承した細川英次郎からの研究で占められています。

 戦前の日本鳩界の中心は関西でした。その関西で勢山庄太郎の存在はその人格・識見とも絶大たる人物でした。しかし、それだけの人物でありながら、その足跡や鳩理論、そして、人物の画像すら、今日まで、資料として残されたものが明らかではありませんでした。
 そこで、現在の時点で可能な限りの資料調査を行い、手に入った全ての「勢山庄太郎」の資料をこの「勢山エスエス系研究B−1 勢山庄太郎」編で執筆研究を進めたいと思っております。そして解説や考察も加えて、今後の研究の基礎資料としたいと思っています。

 イレブンは今、エスエス勢山系の研究に於いて、その系源となる原鳩についての考察を加えていく上で、どうしても、勢山系の創始者である勢山庄太郎と大正8年(1919年)からのクレルカン時代そのものの全貌をある程度明らかにしなければ成らないと感じています。
 エスエス勢山系の原鳩については、クレルカンが特別に持ち込んでいた鳩であり、それを岩田巌が密かに勢山庄太郎ら関西の旦那衆に「横流し」をしたという事実については、前章で示した掘場先生の証言で明らかになりました。しかし、それが、どんな時代状況の中で行われたのかということをもっと明確になれば、「横流し事件」の持つ意味やそこで横流しされた「鳩たち」の存在についても理解が深まるのではと思うのです。

 そこで、勢山庄太郎自身の人物像を可能な限り明らかにし、その人物が所有した基礎鳩が、当時の我が国の鳩界の中でどのような存在だったのかについて考察を加えてみたいと考えています。
 また、このことを明らかにしていくことで、戦前の鳩界の実像がもっと明らかになるだろうと推測しています。

 これらのことは、実は、『クレルカン時代の検証』の研究範囲に入る分野です。しかし、研究の進展上、この章において、しばらく、人物研究と時代考証を踏まえる必要があると感じておりますので、いわば、『クレルカン時代の検証』の第2幕のダイジェスト版的な章になると思っています。そうした時代検証が中心となる章として眼を通していただければありがたいです。

では、その時代検証の切り口は、これら公開貴重画像の検証から始まります。愛鳩家の集いに写った勢山庄太郎の実写画像とその集いの参加者の寄せ書きにある自筆サインです。

 画像前列右から4人目が勢山庄太郎です。貫禄のある堂々とした人物であることがこの画像からでも伝わってきますね。この写真の最中央で写っているという事実だけで、いかにその存在が大きい人物であったかが想像できます。勢山庄太郎の画面右にいる軍服の人物があのクレルカン中尉の弟子と自認されていたという伊崎大尉です。この方は戦後も生きておられ、多くの貴重な証言を書き残されています。

 この画像は1925年(大正14年)4月20日に関西伝書鳩総合協会の会員であり、当時東京に在住していた師岡氏の自邸で撮影されたものです。ここで撮影された日に署名された色紙の画像もありました。当時の名だたる人物の名前が連なっていますね。まずはここから検証を進めていきましょう。

 愛鳩家の集いの色紙−勢山庄太郎の自筆サインー  イレブン  2018年11月4日(日) 22:59  イレブン  2019年1月28日(月) 23:15 修正
・イレブンはこの実写画像と自筆サインを見つけたとき、思わず驚きの声を出しました。

 きっとここに写って折られる方は、まさか93年後の21世紀の未来でインターネット上にアップされるなんて夢にも考えていなかったでしょうね。

 これから、ここにサインをされている方々のプロフイールを可能な限り調査してそれらの人物とこの集いがどのような意味を持つものなのかを明らかにしていきたいと考えています。この欄は、研究調査をしながらその都度判明したことをことを追記しながら整理していきたいと思います。まずは寄せ書きで読み取れた人物の実名と当時の住所です。住所は当時の住所ですから現在住所名とは相当違っています。当時の古地図で調べないと現在位置が特定できません。気長に調べたいと思います。
 
 プロフイールは、当時の文献等の中で分かったことを追加していきます。もし何かご存じの情報がありましたら、是非教えて下さいね。特に関西方面の方でこの掲示板をご覧の方であれば、これらの人物について何か地元で伝わっている逸話などがあれば教えていただければありがたいです。

《「愛鳩家の集い」に参加している人物のプロフイール調査》

■田中丑松■大阪市天下茶屋鯨池畔
■勢山庄太郎■大阪市南区佐野屋橋北詰■、勢山系確立者、※情報多数
■今西小三郎■京都市竹屋町通寺町西入る■京都鳩界の草分け的人物(掘場先生証言より)
■徳永秀三■大阪市淀川区十三南之町■徳永系確立者、勢山庄太郎と並ぶ関西の旦那衆の中心人物、
■金田喜一郎■大阪市天王寺区上ノ宮町十二
■伊藤銀三■大阪市東区石町ニノ二二
■瀧川忠三郎■京都市鳥丸通六角南入
■坂口音三郎■京都市鞍馬口寺町西入
■森弥三郎■京都西蛸柴師境町角
■西村種造■大阪市東区安土町二ノ七三■店主西種飼鳥店
■赤松定吉■神戸市琴緒町三ノ二五六
■科野整司■大阪市北区末広町一八

※記載している住所は雑誌「鳩」の広告欄に記載されていた住所です。大正時代の住所表記です。

 □勢山庄太郎の鳩理論と人物像  イレブン  2018年11月6日(火) 16:41  イレブン  2019年1月28日(月) 23:17 修正
 イレブンのこれまでの調査では、勢山庄太郎の人物像や鳩理論が分かる資料として現在に残っている資料は2点しかありません。
 一つは、月刊「鳩」の連載記事「人と鳩…それから(5)」の「=鳩の優劣鑑別法=大阪好鳩会副会長 勢山庄太郎氏」であり、もう1点は「普鳩」での連載記事「愛鳩十五年第6話 並木安一談」の「関西鳩界の重鎮勢山氏との初対談記」です。

 今日に残された資料はこの2つですが、この2点の資料の全文を起こすだけでも、勢山庄太郎が桁外れの人物だったことが伝わってきます。資料の文字は当時の仮名遣いになっていますので、イレブンが分かる範囲は現代文に直し全文を起こしたいと考えています。感想やご意見がありましたら遠慮無くレスをお願いします。まずは、「=鳩の優劣鑑別法=大阪好鳩会副会長 勢山庄太郎氏」から取り組みますね。

 ◇=鳩の優劣鑑別法= 大阪好鳩会副会長 勢山庄太郎氏◇  ・  2018年11月6日(火) 17:10  イレブン  2019年1月28日(月) 23:18 修正
■■■

 大阪好鳩会副会長の重位にある氏は本社特別賛助員として永年深禄(みろく)につながれて居る。氏は本邦鳩界に於いて『鳩を鑑る眼』をもつ最も知名なる一人である。
 氏は鳩を飼う方法に就いても他の人々と全然異なる点を多く持っている。就中羽色に至っては、灰色(土羽二引)のみの鳩を飼い詰め飼料も亦麻の実を専用とするなど一風変わったものであるが、氏の優劣鑑別法はこれ又専門大家の舌を巻く程で永年の経験に依り氏独特の法に依り、見るもので殆ど百発百中の妙眼である。
 氏は大会に参加する羽数も極く僅少の三四にしてよく最終の放鳩地点に成功するなど氏の鑑別法の如何に信をおくに足るか実証して居る。
 記者はこの権威ある鑑別法を伝授されんと、ある日大阪佐野屋北詰のお宅に氏を訪れ親しくその鳩についての鑑別説を承った。

■■■(※小見出しイレブンが挿入)

□私の優劣鑑別法の秘訣□

 鳩の優劣を見る秘訣って別にありませんが、ただ、永い間の経験がら得た事をお話ししましょう……、と前置きしながら語られる。
『まア、精神ダマと、足の揃いとを兼ね備えた鳩がよろしい、そこで経験からといいますと、ある霊感作用によるのですね。鳩だってその霊感作用によって遠い水戸、仙台、宇都宮あたりから、雨や霧や霞に出会いながら知らない空中を愛される鳩舎にヒタ飛びに帰ってくるのですから……。
 雑然と沢山な鳩の群れの中から1羽良い鳩を見い出すのについてですって。そうですね。最初眼に写った印象的によいと思った鳩はやはりそれが良いと思います。あれも是もとより抜く中で反って判明しなくなって仕舞いますものでそれが私の秘訣というのでしょうか』。

□優劣鑑別法の実際□

 『元来鳩はベルギイが本場ですがその本場のベルギイは反つて日本に来ると悪くそれは時候の具合によるのでしょうが日本で飼育され大きく成った日本鳩は大変度胸が据わっていて良いようです。
 良い鳩に就いて、やはりその鳩の系統から押して良い鳩を知るという事に
なっていますが、私は大体に自分自身からの見方をとっています。こんなことも実験からでないとどうこう言ってお教えするわけには行きませんが、私は大体に形式的によい鳩の見方として、温順しく落ち着いていて、見ても成るべく肩のところなどが盛り上がっているのがよく、それで反対に羽がペチャリと下げているのはよくありませんね。そして捕らえてみて、やんわりと、弱々しい触覚のするのは悪く、やはり総体がかっしりとして、羽毛俗に(けじまり)のよいのがよく羽根も広げると丁度あの飛行機の翼のように中ふくらみになって、その翼にすきが無く羽根と羽根とが幅広く重なりあっているのがよく、それでなく羽根にすきが多く飛んで風のぬけるようなのはいけません。付け根のところも筋肉が発達して頭なども嘴の上から首の方にかけて、丸みがおびて首も太いのがよく,てっぺんが扁平になっているのは大体悪いようです。眼も成るべく上の方にあって余りパチパチさせずに落ち着いていてその中に一種の威力を持ったのがよろしい。
 眼をパチパチと動かし過ぎたり下の方にあるのは悪いのです。例えば、
 この時氏は図解を加えて説明される。
 尾もその総体より上へ一寸か二寸位い上げていて揃っているのがよく、尾をエビの様に拡げてスキのあるのはよくありません。尾が揃っていても長過ぎたり、例えば、
氏はまた熱心に図解によって語をつぐ。
羽根をすぼめた先端から尾の先まで指が三本横から入るように長いのはよくありません。
 大体指が二本ぐらい入る位いがよいと思います。足も短くちじんだのより少し長くがっしりと、踏ん張りがよく総体に姿勢の正しいのがよろしい。長身は長距離によく短身は短距離に適していますが、私はその長短の中間の方が良いと思います。
 ご承知でしょうが大体に鳩を正面から見てひ平ったく、身体も少し小さく首も細いのが雌で、首も太く身体が少し大きいのが雄ですが。』

□作出の考え方□

 氏は次に良い鳩は如何にして得られるかと言うことに話題を進めていかれる。


 『よい鳩を得ようとしますのにはやはり大事に可愛がっていくことですね、西九条の鍛冶由さんや西川さん、和田さんなどは大阪では上手でしょう。
 勿論親鳩によるところが多いのですから、交配さすのも成るべくその親鳩のよいところによって得ねばなりません。――といって良い親鳩だからと言って1年も2年もつがい通しではいけません。、適当にその次のよい親鳩へというふうにいわば移動交配主義によるのです。
 孵化させるについても、春の4月5月頃に孵化させるのが一等成績が良く、私の方も立派に成功しました。やはり寒い時期に孵化するのは成績もよくありません、また秋に孵化するのはよくもなく悪くもありませんから、どうしても春に孵化するのが一番良いと思います。それも2回か3回ぐらいでしょう。。
 餌は私の方ではおのみ専門でやっておりますがやはり人間同様カルシュームを含んだ塩分がよいようです』。


□レースの回想談□

 氏は又鳩に対する独特な識別法かた飼育されて来た愛鳩の先年吾が飼鳩界に一代記録を記してヤンヤと喝采を受け栄誉を勝ち得たときの追憶や、鳩の霊感作用や、その鳩の脚の強弱の重大なこと等について語られる。

『そうでした。1昨年宇都宮で午前6時に放った放鳩の中で徳永さんと私との鳩が、午後6時丁度12時間で、大阪に帰って成功してその他の人達の鳩は、その翌朝7時から8時頃に大阪に帰ってきたことがありました。
 また先年も水戸から放った鳩が伏見まで帰ってきて足の疲れを休めて道草をしていてついに大阪まで帰らずに伏見で拾われて帰ってきたことや、まだそのほかに途中で迷い込んだり、疲れて汽車に轢かれて死んだりした例もありますが、それは大抵脚の弱かったのに原因があります。
 また鳩の霊感について鋭いのは先年宇都宮から放った鳩が、霧と露とに包まれていながらも目的地について成功したことがありました。昨年、東京の瀧野川の諸口鳩舎から約百羽程の鳩を放ちました時その澤山の端とは放つと同時は吾れ勝ちに西の方へ見ているように一つの集団となって、飛んでいくその様を見て私は熟々とその鳩が持つ霊的知覚に驚かされたことがあります。
 鳩は御承知の通り鳥目で夜は見えないもですが、私は経験のため夜間通信をすべく夜汽車で目的にから放鳩したとき、その鳩は夜雨の中を無事に鳩舎に帰って来て盛んにその鳩は五尺程もある鳩舎に飛び込もうと思って、矢鱈(やたら)にパアパアと何回ともなく、飛び上がっていましたが、しまいい遂々中に飛び込んで嬉しそうにクウクウと鳴き続けていたこともありました』。

□訓練や飼育方法の考え方□

氏の語は尚熱心に鳩の訓練や、飼育方法についてのびていく。

『大体に鳩は平常過度の訓練は別に必要ないと思います。只会(※レースのこと)の間際になって1里から2里、3里――こういう様に順次、奈良伊賀桑名からご試練すれば良いと思います。どうも最初から遠距離から放つという傾向がありますが、例えその鳩が遠距離から放って予想より早く鳩舎に帰ったからと言って決して良いとは断言が出来ません往々、そんな鳩が会に出て途中道草をして行方が知れなくなって不成功に終わることがあります。最初遠距離から放ったときに、むしろ多方面に迷い込み飛び回りながら、苦しんで帰ってくる鳩の方が返って善いというのは、会に出たときにそうした鳩はよく多方面の地理を解し、まごつかず飛ぶということです。また会の前は、満腹主義より、空腹主義をとってただ僅かの玄米を食べさせ水を飲ませておくことです、まあ、餌で釣ると言いますか,満腹主義は鳩がよく怠けるようです。
 また平常の飼育法については、なるべくその鳩の耐久力を養うべく野性的放任主義がよいと思います。軍用鳩は短距離にはよいが長距離に向かない欠点も、その規則的な飼育によるものではないでしょうか』。

□レースの参加羽数□

氏は昨年陸軍に愛鳩3羽と尚本年の大会に使翔すべき3羽もまた海軍に寄付せし事などを種々述べられて後、来年度の準備として約5羽の愛鳩を飼育しつつある旨や好鳩会本年度大会に就いての模様やまた将来是非とも北陸と青森方面へ飛翔させて見たい希望を解説された。

以上(大阪鳩園社発行雑誌『鳩』、1926年(大正15年)2月号P14〜P15より引用)

 ■勢山庄太郎「鳩の優劣鑑別法」から見えてきたこと@■  イレブン  2018年11月9日(金) 5:03  イレブン  2019年1月31日(木) 1:41 修正
◇「雑誌『鳩』、1926年(大正15年)2月号、大阪鳩園社発行」であることの持つ意味◇

 この勢山庄太郎「鳩の優劣鑑別法」が掲載されたのは、日本最古の鳩界雑誌「鳩」の大正15年(1926年)2月号です。つまり、クレルカンさんらと1000羽の伝書鳩が我が国に到着した1919年3月31日から7年後に掲載された記事なのです。この日本最初の鳩の月刊誌「鳩」創刊されたのは実に1922年の5月ことで、1919年日本在来元年から3年後のことでした。しかも、発行は、大阪を本拠とする「大阪鳩園社」でした。レース鳩の始まりが大阪、京都を中心とする関西からだったという伝聞は、この事実からも明らかですね。イレブンは、この雑誌「鳩」に焦点を当てたテーマだけでも1冊の本になるほどの内容があると思っています。いずれ、この「勢山エスエス系の研究」で取り扱いたいと考えています。

 さて今問題にしているのは、日本在来元年から7年後に「鳩の優劣鑑別法」が掲載された「大正15年」がどんな意味を持つ1年だったかと言うことです。

 まず、重要なのは、この年の12月に大正天皇が崩御されていると言うことです。つまり、大正15年は大正時代の最後の年であり昭和の最初の年に当たるのです。ネットで検索すると次のような解説がありました。

●「昭和元年は、1926年(大正15年)12月25日に大正天皇が崩御なされ、その日に昭和と改元されました。ですから、昭和元年は1926年の年末のわずか7日間のみとなり、大半は大正15年ということになります。
 これは奇しくも、昭和の最後の年である昭和64年と同じです。昭和天皇は、昭和64年(1989年)1月7日の午前6時33分に崩御なさいました。翌1989年1月8日からは「平成」が始まりました。
 したがって、昭和の始まりの年である昭和元年と、昭和の終わりの年である昭和64年は、どちらも7日間という短い年となったわけです。感慨深いですね。」(https://kagebome.com/showa01/

そして、この記事を書いているのは2018年平成最後の11月です。これも感慨深い?ですね。

さて、この「大正15年」は、「勢山エスエス系」の歴史上でも、もう一つ重要な意味を持つ年です。釜山帰りの勢山エスエス系の代表原鳩「SS278号」が誕生した年でもあるのです。この記事が大正15年の2月号ですから、鳩園社の記者が勢山庄太郎の自邸で取材していた時点では、「SS278号」は、まだ、卵としても生まれていなかったということになりますね。そして、このSS278号が釜山から帰って来て勢山氏が大阪の街で盛大にパレードしたという逸話があったのは昭和4年のことです。単純に計算するとSS278号が4歳の時の話のようですが、昭和元年が大正15年の年の最期7日間(12月25日から12月31日)しか無かったので、大正15年生まれの【SS278号】が昭和4年5月実施された釜山からのレースで翌日帰還し優勝したのは、3歳の時の記録ということになりますね。

この事実を踏まえて、この勢山庄太郎の「鳩の優劣鑑別法」の記事を読んでみるとまた違った感慨を覚えます。まずこの一文が目にとまります。(※左画像参照)

○「氏は本邦鳩界に於いて『鳩を鑑る眼』をもつ最も知名なる一人である。氏は鳩を飼う方法に就いても他の人々と全然異なる点を多く持っている。就中羽色に至っては、灰色(土羽二引)のみの鳩を飼い詰め飼料も亦麻の実を専用とするなど一風変わったものであるが、氏の優劣鑑別法はこれ又専門大家の舌を巻く程で永年の経験に依り氏独特の法に依り、見るもので殆ど百発百中の妙眼である」

 勢山庄太郎は、釜山帰りの大記録以前に、すでに「本邦鳩界に於いて『鳩を鑑る眼』をもつ最も知名なる一人」として名声を博していた超有名人だったと言うことです。これは、おそらく、この「鳩の優劣鑑別法」のなかで勢山庄太郎自身が述べているこうした翔歴にもよるのでしょう。勢山庄太郎は釜山以前からの大チャンピオンだったと言うことになりますね。

○1昨年宇都宮で午前6時に放った放鳩の中で徳永さんと私との鳩が、午後6時丁度12時間で、大阪に帰って成功してその他の人達の鳩は、その翌朝7時から8時頃に大阪に帰ってきたことがありました。

しかも、この記事を取材した記者の次の言葉に見る事実が勢山庄太郎をして「名人」と言わしめていたのでしょう。

○「氏は大会に参加する羽数も極く僅少の三四にしてよく最終の放鳩地点に成功する」

僅かな参加羽数で、次々と前人未踏の大記録を打ち立てて行く勢山庄太郎に対して、当時の鳩界人が羨望と尊敬の眼差しで見ていた事は、このことからして当然かも知れませんね。集合写真の中心にクレルカン中尉の愛弟子伊崎大尉の横に並んで写っている意味がよく分かってきますね。実は、この集合写真は、雑誌「鳩」の創刊3周年記念の特別号(「鳩」1925年5月号)に掲載された画像です。つまり、雑誌「鳩」の創刊は、1921年5月です。(※要調査イレブン)この創刊1年前にクレルカン中尉一行は佛国に帰国しています。このことはこの日本初の鳩界雑誌「鳩」も創刊と深く関わっているようにイレブンは感じます。

 さて、この勢山庄太郎「鳩の優劣鑑別法」から、当時の状況が様々明らかになってきました。勢山庄太郎の鳩理論そのものについての考察は、また後ほど別項を点てて考察していきます。まずは、勢山庄太郎の人物像と庄太郎が生きた時代を明らかにすることがこの章のねらいです。
 そこで、いよいよ、第2資料「関西鳩界の重鎮勢山氏との初対談……並木安一談」の全文公開に入ります。この資料から、勢山庄太郎の全貌がかなり明らかになります。お楽しみに!!

※ちょっと一休みして、この1926年に録音されたルイ・アームストロングの歴史的名演奏、スキャット・ヴォーカル流行のきっかけとなった「ヒービー・ジービーズ」を聴きながらコーヒーでも飲んで当時の雰囲気に浸ってみませんか。https://www.youtube.com/watch?v=IvqxedEuoj8
(つづく)

 ■『関西鳩界の重鎮 勢山氏との初対談記』 並木安一(『普鳩』昭和16年12月号P12〜P13より引用)■  ・  2018年11月11日(日) 5:20  イレブン  2019年1月31日(木) 1:46 修正





















◇勢山氏の在りし日の面影◇

 話は少し前へ戻りますが、関西鳩界の重鎮、大阪好鳩会の大幹部で、昭和8年5月の28日に他界された勢山庄太郎氏と、初めてお目にかかった時の忘れることの出来ない印象をお話ししましょう。

 あの方は上京されると帝国ホテルへ宿を取って、その都度協会長の徳川男爵や、常任理事の荒井尋平冶さんを訪ねられましたが、私が協会の常任会計理事だったので「一度並木さんへ行きたい」と云い云いしておられたのでした。

 勢山さんは、お父さんからして鳩がお好きで、従って勢山さんも6歳の頃から鳩を飼って、59歳で逝かれるまで、半世紀以上も長い間鳩と親しまれた方で絵画でも音楽でも、名人と謂われる人は幼い頃からその道に親しむもので、鳩も五つ六つの幼年時代から観ていれば必ず勘所がよく分かるようになると思います。

 勢山さんもそのお一人で、日本鳩界が今ほど盛んでない時代に必ず最終の目的地点まで鳩を届かせていた名人でした。盛岡大阪間の大競翔会を大阪好鳩会が主催したときも他鳩舎は皆帰りませんでしたが勢山さんの鳩だけは2羽も帰っています。その後釜山大阪の海峡横断に大成功を収められ、驚異的な成績を示されました。何しろ勢山さんが鳩体を捉まえられば、是は400だ、600キロは大丈夫という風に、一目で鳩の能力を見抜く鑑識眼を持っていられるいう噂を耳にしていましたので、一度親しくお目にかかって鳩術上のお話を承りたいと思っていました折柄、たまたま娘さんを同伴して上京され、ホテルに泊まられたのでお招きしたところ、有名な灘の生一本のお好きな方で、御馳走はいらぬ、おいしい酒さへ頂ければとの事なので、本場から来た良酒を取り寄せてお招きしました。

 非常に天気の良い日の午前10時頃でした。荒井さんの案内でお見えになったので、2階でまずは一献差し上げて、鳩小屋を座敷から眺めながらいろいろお話を承りました。

◇土鳩で競翔した話◇

 勢山さんが鳩を飼育された最初は、明治初年頃の事ですから、日本に伝書鳩が居らず、首だけが白い「宮鳩」つまり土鳩の一種を飛ばして楽しまれたもので、脚環なんて無かったのでしたから、その後伝書鳩を手に入れられ、最初の競翔は帰った鳩を審査場へ持っていかれたのですが、あまり夢中になって鳩を握り殺したりするので、次の時は手羽にゴム印を捺して、それを1枚抜き取って審査場にへ持参したそうで、しかしそんな風にして三四回も競翔すると手羽が不足して鳩は飛べなくなるというふうな笑えないナンセンスもあって結局脚環を入れることになりました――こんなことを面白く話されました。

◇鋭い眼識に敬服◇

 それから鳩小屋に案内して見てもらいましたが、私も人が悪い、一つ勢山さんの腕試しをするつもりで,黙って鳩をご覧に入れてから、遠慮の無い御批評を願ったのです。仰有る事をそのまま鵜呑みにはしかねますが、益々鳩を改良整理してゆきたいから鳩の良否を批評して下さいと申し上げると、勢山さんは一羽の灰色の雌を指して、
「この鳩はヨロシウおまっしゃろがナ」
と大阪弁で云われ、続けて
「これは今日の夕方4時頃に卵を産みまっせ」
と仰有いました。この勢山さんのお眼に止まった鳩は、驚いたことに『並木46号』で、4年の富岡競翔に分速千百五米で一等賞を獲得した、当時自慢の雌でした。親は、中陸の3219号、仔も皆よく飛ぶ、言わば並木鳩舎の至宝鳩でしたので、私もさすが勢山さんだとその鋭い眼識に敬服しました。またこの♀のお腹の大きいのは私にも分かっていましたが、一目見て卵を産む時間を言い当てられ言われた通りその日の午後4時に卵を産んだのですから、私も勢山さんをエライ人だと思いました。

◇ 将来への一大確信◇

 それから、良い鳩だけ選り抜いてもらいました。37,8羽いた中で、半分ばかりはおすすめにあづかりました。記念に性能の見分け方を関東鳩界の為に教えて頂きたいと、46号を捉まえて握って頂き、持ち具合から調べ方を注意深く観察していると、勢山さんは龍骨から翼、鳩全身すっかり検査して
「ヨロシウおます」
と云われました。そして、龍骨の長さ、手羽の幅さ、風切羽は外から5本はこんな格好がよいとか、姿勢はかくあるべきだとか、いろいろ貴重な経験の結果を話して下さいました。承っているうちに私は勢山氏の鑑わけ方が嘗てアメリカの鳩雑誌に出たミラー博士の見分け方とピッタリ符号している事に気がつき、国は異なってもエライ人の話は一致するものだ、毛唐が特別にエライのではない、私達も先進国の人たちと同一の能力を持っている事がわかり、それ以上に研究すればモットえらくなり得るものだという、一大確信を得たのです。
さて勢山さんが「よろしゅうオマス」と云って選り別けられた20羽近い鳩を良く見ると背中がみんな逆弧線を描いて尾羽がピッとはね上がっているのでした。この型は昔から私の好きな型なので、なるほどと頷首いた事でした。

◇前になく後に無し◇

 そのほか色々な秘伝を教わりましたが、勢山さんは午後2時頃まで大変愉快にお話でした。そして、これから毎年上京の時にはぜひ、お伺いすると云って帰られたのですが、翌年永眠されたのは何とも遺憾な事でした。
 勢山さんのご商売は竹屋さんで大分前に夫人は亡くなられ、鳩が勢山さんの女房でした。
 モ一方、大阪の古い鳩飼で和田永次烽ウん、この方とは中陸で開かれた協会総会の時にお目にかかり、羽の見方を教わりましたが、勢山さんのような名鳩飼は私の愛鳩十五年の歴史を通じて二人とはなく、この人をして東西対抗戦に勝たれたのは偶然では無いと思いました。それに大阪鳩界の為と云えば何事にも率先して一同を指導されたものです。
 勢山氏の前に勢山氏無く、後にもあのような人は出ていません。
 序に並木46号のその後を申しますと、満州国公主領の愛國鳩舎へ献納いたし、其処で一生の責務を終えました。

以上(『普鳩』昭和16年12月号P12〜P13より引用)


 ★★オールジャパンプレミアムワンロフトレース★★ 水沢400Kパート2   イレブン  2018年11月18日(日) 21:37
修正
第2回目の水沢400Kレースの放鳩が20日になりました。帝王ロフトは前回優勝鳩を含め2羽参加です。参加鳩の一覧です。20日の夜には結果がが分かります。楽しみです!!

■水沢400Kパート2 結果

http://www.oneloftrace.live/?page=1&loft_id=8&flight_id=1535511914&season_id=3





【今季成績データ】

■18YA05694 B 帝王ロフト■※水沢400Kパート1優勝鳩

http://www.oneloftrace.live/?page=6&loft_id=8&pigeon_id=25&season_id=3

□120K 20位
□250K 11位
□400K  1位

◎【源流秘蔵岩田号】の孫


■18YA05691 BC 帝王ロフト■※水沢400Kパート1 9位

http://www.oneloftrace.live/?page=6&loft_id=8&pigeon_id=24&season_id=3

□120K 25位
□250K 6位
□400K 9位

帝王ロフトの2羽は常にトップ集団に入ってますね。

 速報 水沢400Kパート2結果  イレブン  2018年11月20日(火) 21:38 修正
水沢400Kパート1優勝鳩18YA05694 B 帝王ロフト作が今回は8位でした。分速1231.5993mでした。2レースともシングル入りですね。

ちなみに1位は分速1345.2899mで細井康弘鳩舎でした。結構高分速レースだったようですね。


 水沢400Kパート2結果  イレブン  2018年11月21日(水) 16:05 修正
18YA05694 B 帝王ロフト■※水沢400Kパート1優勝鳩は当日8位でした。2回ともシングル入りですから早い鳩ですね。帝王パパさんのお話では、この鳩は、愛鳩の友社主催のオークションにかけられるそうです。帝王パパさんがワンロフトレースは2羽しか委託できないということで厳選し抜いた鳩だったそうです。
もう一羽の18YA05691BCの方は、春レースにも参加するそうです。こちらは距離が伸びる鳩だそうです。来春の活躍が楽しみですね。

 水沢400Kパート1優勝鳩【帝王プレミアム・クイーン号】  イレブン  2019年1月22日(火) 20:10 修正
■18YA05694 B 帝王ロフト■※水沢400Kパート1優勝鳩

【帝王プレミアム・クイーン号】はオークションにはでないそうです。

 オールジャパンプレミアムワンロフトレース  イレブン  2019年1月31日(木) 1:38 修正

 hiroken23  kymorioka  2019年1月29日(火) 21:46
修正
貴重な写真ですので私のHP南部伯爵のコーナーにアップさせていただきたいと思います。

 どうぞお使い下さい。  イレブン  2019年1月29日(火) 22:12 修正
以前、南部伯爵のコーナーを拝見させて頂きました。こうした日本鳩界の礎を築かれた方の存在をキチンと残していくことはとでも重要なことだと思っております。お役に立てて光栄です。

 hiroken23  kymorioka  2019年1月29日(火) 7:55
修正
「愛鳩家の集い」に勢山氏と一緒に写っている南部氏は欧州から直接レース鳩を導入した33代当主利淳伯爵の子息利貞氏(後の南部系の始祖)と思われますが?当時中学生で「日本鳥類学会員」でもありました。

 スネークパパのリンク集に競馬理論編を追加しました。  イレブン  2019年1月25日(金) 5:03
修正
競馬の理論については、イレブンの研究室Aにフェデリコ・テシオの研究として■徹底研究:フェデリコ・テシオの世界■http://snakepapa.server-shared.com/inf101930/inf10.cgiを公開しています。競馬界の血統理論は本当に参考になりますね。競馬界の研究レベルは、鳩界でのそれとは、格段の差を感じます。

配合の時期になってきましたので、参考にして頂ければと思います。
ちなみにイレブン鳩舎はすでに第1卵の孵化が始まってます。今年は、暖冬という予想だったので例年より早く配合しました。

 ★■『華丸・大吉のなんしようと』 中川家と中間市をぶらり■2018年10月26日放映★帝王パパ登場動画!!  イレブン  2018年11月26日(月) 5:11
修正
九州での人気番組「博多華丸大吉」の旅番組に帝王パパさんが登場したことを以前お知らせしてましたが、九州以外の方や見逃された方も多いかと思います。このほど、やっと、当日放映された動画がネット上にアップされていることが分かりましたのでお知らせします。

帝王パパさんの登場は、番組の後半ですが、かなりの時間収録されています。

帝王パパさんが「レース鳩」の素晴らしさを熱く語っておられる姿が番組をひきたてています。番組の編集で、鳩レースの仕組みやレースの放鳩シーンの解説なども加えられていて、一般の方にも帝王パパが語っていることが理解されるように編集が加えられています。こうした編集は、この番組ではあまりないことです。それだけ、帝王パパさんの話の内容が番組的にも興味を惹き付ける内容だったのでしょう。最後の方には、帝王パパさんが鳩舎の中で鳩を掴んで紹介しているシーンも出てきます。

イレブンは、丁度、家族で食事をしながら見ていたのですが、この番組の見ていた家族から「鳩レースってすごいんだね」と初めて言われました。

スマホでも見れますのでご家族にもお見せになられると効果抜群です!!
下記のアドレスで見れますよ。

■『華丸・大吉のなんしようと』 中川家と中間市をぶらり■

★★リンクが切れてたみたいですね。見れるようになってます!!★★

https://www.youtube.com/watch?v=c5Xf09n05Qc

 日本レース鳩協会『レース鳩』誌の編集部のIさん  イレブン  2018年11月27日(火) 4:40 修正
 昨日、帝王パパさんにYouTubeに『華丸・大吉のなんしようと』の動画がアップされたことをお伝えしましたら、『レース鳩』誌の編集部さんから放映のデータを送ってほしいとの依頼があっているとのことでしたので、イレブンの方から担当のIさんに連絡しました。

 この方は、レース鳩誌での帝王系の連載を担当されている方です。以前から、時折、帝王パパさんからお話を伺っていたので、イレブンはてっきり男性の編集担当の方だと勝手に思っていましたので、電話先から女性の声がしたので少々びっくりしました。明るい知的な声で「画像を取り出ししてレース鳩誌で紹介させて頂きます!」とのことでした。Iさんに「スネークパパの部屋のイレブンです」と言ったところ、掲示板を見たことがあるとのことでした。いろんな方がご覧になっているんだなと思いました。『レース鳩』誌は、日本鳩レース協会の会員全員に配布されているのできっと沢山の方が帝王パパさんが登場される『なんしよと』の動画をごらんになるでしょうね。どんな記事になるのか楽しみです。

ちなみに『中間ホルモン』のA5ランクの焼き肉とホルモンは最高ですよ!!もっとも、記事が出る頃はビルの建替工事が始まっていることでしょうね。

 レース鳩1月号に紹介されました。  イレブン  2019年1月24日(木) 3:32 修正
昨日「レース鳩」誌2019年1月号が届きました。連載C完成した帝王系では、【帝王系3代目】などの代表種鳩が掲載されていました。源流パール号はこの3代目の全兄弟です。現在の帝王系主軸は帝王稚内3号から帝王1633号、そして帝王3代目のラインです。それにしても見事な銘鳩達ですね。惚れ惚れします。

Q界広場に華丸・大吉なんしよっとに登場した帝王パパさんの記事が紹介されていました。なんと、この「スネークパパの掲示板」のことも紹介されていました。

レース鳩誌の編集の飯田さん、紹介していただきありがとうございました!!

 源流系帝王ライン基礎鳩 【源流パール号】  イレブン  2019年1月24日(木) 4:12 修正
源流パール号は帝王3代目の全兄弟です。

上画像:源流系帝王ライン基礎鳩 【源流パール号】13YA01064
下画像:帝王3代目

 源流系帝王ライン基礎鳩 【源流パールJr号】  イレブン  2019年1月24日(木) 4:15 修正
源流メタリック号×源流パール号

 源流ピンクパール号  イレブン  2019年1月24日(木) 4:17 修正
源流シロクロ号×源流パール号

 イレブンへの連絡  イレブン  2019年1月20日(日) 15:14
修正
今日、イレブンが所属する連合会の総会でした。初めての優勝カップです。家族に自慢しました。

 1919年(大正8年)8月10日報道画像  『いだてん 〜東京オリムピック噺(ばなし)』とクレルカン時代  イレブン  2019年1月7日(月) 5:10
修正
今年のNHK大河の金栗四三の『 いだてん 〜東京オリムピック噺(ばなし)』が昨夜からはじまりましたね。画像は、クレルカン中尉ら3人と1000羽の伝書鳩が日本に来た年、1919年の8月の画像です。金栗四三が下関から東京までのマラソンを試みたときの報道画像のようです。

NHK大河「いだてん」の時代背景は、丁度、クレルカン時代から、東京オリンピック会場での開会式での放鳩シーンまでの日本のレース鳩の歴史と重なっています。ドラマの展開の中で情報伝達方法としての新聞社での伝書鳩の活躍シーンも織り込まれているようです。

イレブンは、今年のNHK大河をクレルカン時代の当時の日本の様子を知る上でもとても楽しみにしています。特に「無謀じゃないと、時代は、前に進めない」というフレーズは気に入っています。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40  過去ログ全 1299件 [管理]
スネークパパの部屋