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 博多華丸大吉の番組『なんしよっと』に帝王パパ登場!!  イレブン  2018年10月26日(金) 20:57
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先ほどテレビを見ていたら、地元九州では有名な番組、博多華丸大吉の番組『なんしよっと』に帝王パパさんのお店が出てきてびっくり!後から登場してこられた帝王パパさんは、レース鳩の魅力について熱く語って居られました。
画面の右上のテロップには、「ついにご帰還!焼き肉屋の鳩好き大将!!」
の文字が。
「ご帰還」は鳩レースを意識しての編集部の工夫でしょうか?

 「何ですか?鳩の魅力って」(中川家) ◇ 画面テロップ「愛鳩家の大将がその魅力を大いに語る」◇  イレブン  2018年10月26日(金) 21:09 修正
中川家が帝王パパさんに「何ですか?鳩の魅力って」と質問するとすかさず「レースですよ」と一言。帝王パパさんは、作出のことから、ユニコンで記録し分速を算出して順位を決める鳩レースの仕組みまで丁寧に説明されていました。
4年連続九州地区チャンピオン、全日本第6位という帝王パパさんの成績を聞いてみんなはびっくり。

画面テロップには「愛鳩家の大将がその魅力を大いに語る」の文字が!

最後まで帝王パパさんの熱いトークは続き、鳩舎内で代表鳩を掴んで紹介するシーンも登場しました。「鳩は難しい。人生と一緒」とのさり気ない帝王パパさんの一言にこの番組を見ていた多くの愛鳩家のみなさんはきっと一緒に頷かれたことでしょうね。

華丸大吉さんや中川家さんたちが、帝王パパさんの話を聞いて「競馬と似ているんですね……」、「こんな世界があるって全くしらんかった……」とつぶやく姿がとても印象的でした。

 鳩レースの仕組みも解説がありました!!  イレブン  2018年10月26日(金) 21:14 修正
後半には鳩レースそのものの説明を番組が編集し、放鳩シーンや鳩レースの仕組みも解説してくれました。番組が終わって帝王パパさんにお電話したら「鳩レースの宣伝になったかなあ……」とのことでした。

我が家では、家族全員が見ていて、放鳩シーンにびっくりしていました。帝王パパさんの今夜の出演でレース鳩への理解が九州中で一気に広がったことと思います。イレブンも家族の前でかなりいい気分でした。

帝王パパさんお疲れ様でした!!

※画像は、録画後に撮影したものです。TV放映は、19:00〜20:00の番組で帝王パパさんの登場は後半10分から15分ぐらいだったような気がします。

※番組を見逃された方やこの番組が放映されていない地域の方は2〜3日の内に誰かが「YouTube 」に動画登録すると思いますのでご覧下さいね。スマホでも見ることが出来ますよ。

 勢山エスエス系研究A−1 勢山系の原鳩  イレブン  2018年9月30日(日) 21:41
修正
帝王ロフト.comを立ち上げて以来、幾人かの方から、勢山系と原鳩についてもっと詳しく知りたいとのご意見を頂きました。これは、帝王ロフト.comの「帝王系トーク」コーナーでのイレブンの次の発言によるものです。

■いま話題にしている帝王系基礎鳩【天龍号】は、勢山エスエス系の銘鳩として有名ですね。母親【天龍号の母38−039050B】は当時の広島鳩界最高雌種鳩といわれていたと聞いています。100年前、日本陸軍の通信軍鳩の指導教官として招聘されたクレルカン中尉が自身の種鳩として持ち込んだ銘鳩達がいました。これらの鳩はZ鳩舎という特別な小屋で飼育されていました。クレルカン中尉がフランスに帰国後、軍の高官を通じて密かにそれらの種鳩を手に入れたのが勢山系の確立者勢山庄太郎氏を中心とする関西の旦那衆たちです。戦後、広島では他の輸入系が混じっていない勢山系を勢山庄太郎のイニシャルをとってS・S系と呼び大切にしていたそうです。この戦前から続くラインからそれこそ無数の超長距離鳩や総合優勝鳩が誕生し続けてきました。帝王系の基礎には、そのエスエス系ラインの本流がしっかり入っています。これが帝王系が日本在来系の銘血と称する所以となるのです。■

この勢山系の原鳩の出所を巡るエピソードについて広く知られるようになったのは、近年で言えば荒井忠尋氏による「勢山庄太郎が築いた礎」(『レース鳩』誌連載【在来の系譜】第1回勢山系@)でした。この荒井氏の連載【在来の系譜】による勢山系の研究は、これまでの鳩界における勢山系研究の掉尾とも言うべき充実した内容でイレブンも多くのことを学ばせていただきました。 荒井氏はこの連載で勢山系の系源について次のように 記述されています。

■勢山系の系源SS5544号も大正9年大正9年(1920年)生まれの 中陸作出鳩。ただし、正確には払い下げではなく、中陸の岩田厳という大尉が特に優秀な鳩を内緒で関西に持ってきたものらしい。公の払い下げではないため脚環をきり、勢山庄太郎が個人環を装着した。SSは自分の名前のイニシャル。そのとき岩田大尉が持ってきた7羽は、大阪の勢山、徳永、重根、京都の影山、清水、家村らに譲り渡された。のちに勢山系を継承する細川英次郎は「ほんとうにこの7羽は優秀でした」と語っている。7羽はのちに勢山系のほかに宇津木系、今西系、西川系の系源となっていく。■(レース鳩』誌2010年8月号P96)

イレブンが「帝王系トーク」で「軍の高官」と書いた人物は、ここで書かれている「岩田厳大尉」のことです。この岩田大尉のことについては、イレブンの 「クレルカン時代の検証II 1日本在来系元年問題の決着」のところで紹介しておりますが、イレブンの調査では、「大尉」ではなく、「陸軍騎兵少佐」だと理解しています。この方は、当時発刊された伝書鳩の民間普及を目的とした専門書『傳書鳩』(大正15年2月25日、科学知識普及社発行)の著者です。ちなみに、イレブンはこの本をネットの古本屋で購入し手元に持っています。今も、調べたら2冊ほど出回っているようです。(※手に入れた10年前は、もっとたくさんで出回っていましたし、値段も安かったのですが、現在は品数も少なく値段も結構します。当時は1000円前後でした。実は、この本はなかなかの名著です。内容に目を通すと、伝書鳩が国家最先端の通信機器として重視されていた時代に、版を重ねて出版され続けていた理由も納得できるものがあります。 )

この岩田氏は軍を退官したあとも、こうした形で当時の鳩界との関わりが続いていた方のようです。では、この岩田「大尉」のいわば闇ルートによる種鳩の「横流し」のエピソードの出所はどこから出てきたのもなのかについて、荒井氏の論文では、伺い知ることが出来ません。実は、この事実を鳩界で証言されたのは、あの大御所堀場[金市(金偏に市)]郎先生なのです。これは、愛鳩の友1970年11月号での「在来系の原鳩を訪ねて」(その二)日本鳩レース協会参与堀場[金市]]郎■勢山系の原鳩■(同誌P38〜P39)によるものです。この記事は、堀場氏がインタビューに答える形式なっています。「勢山系の原鳩」を巡って貴重なエピソードがいくつも語られてい内容です。鳩界史に関わる重要な資料だと思いますので、次回、全文を引用しますね。お楽しみに!!

 ■引用資料■「在来系の原鳩を訪ねて」(その二)日本鳩レース協会参与堀場[金市]郎■勢山系の原鳩■(愛鳩の友1970年11月P38〜P39より)  イレブン  2018年10月1日(月) 4:28 修正
●軍用鳩の払い下げをうけて……●

□勢山の話ですが。勢山庄太郎さんというひとがいましたね。
■堀場■勢山ですね。S・Sですからね。今は勢山と言っていますが昔はS・S系と言っていました。
□中陸からどうやってもってきたんですか。払下げられたのですか。
■堀場■払い下げられた鳩と、それから非常に問題がありましてね。その頃いうたらえらいことで、憲兵隊ですよ。つまりね。名前をいうたらいけませんが、岩田さんという人がいて、その人がいた頃にね。
□その人は軍人ですか。
■堀場■調査委員長(※注1イレブン)をしていた人ですが、軍人ですよ。岩田さんには「伝書鳩」という本もありますよ。その人が、払下げしたわけですよ。払下げは普通仔鳩を5円で払下げしていたんです。そのほかに、フランスからクレルカンが持ってきた鳩を、それを払下げしたわけです。クレルカンが帰ったあと(※注2イレブン)ですね。
□その鳩自身をですか。
■堀場■そうです。その鳩自身は払下げすることはできんのですよ。なかなかね。だから廃鳩として払下げしたんです。
□ああ、使えないということでね。
■堀場■そして、関西へもってきたんです。それで、少し話が転倒しますが、今西号のもとになっている清水さんね。それなんかの基礎鳩になっているんです。協会の鳩ね、誉田君のところから出ているのに、フランス直輸入と書いてあるでしょう。(※注3イレブン)フランス直輸入と書いてあるけど、その頃フランスでは鳩は兵器だったのです。で、フランスは全然払下げをしていなかったそうです。ベルギーからは来ていたんですがね。フランスからは全然来ていなかったそうです。クレルカンが持ってきていたのを払下げしたらしいのです。(※注4イレブン)東京では目立つので大阪へ持ってきたんでしょうね。
□個人的に内緒でということですね。
■堀場■それに条件があったのです。結果的に見て条件があったと思うのです。それがバレたんです。脚環もフランス国旗が入った脚環だったんです。それからバレたので引き上げたり、脚環を切ったりしたんですが、漏れたのもあったらしいのです。
□何羽もきたんですか。
■堀場■何羽もきたらしいですね。詳しいことは知りません。大正八、九年頃でした。バレたために岩田さんがやめたんです。同じ軍用鳩でもフランス直系のは関西へきてんです。勢山さんがもっていたんです。今西系などにもそれが入っているわけです。
□フランス直系とベルギー系とが交配されたわけですね。
■堀場■勢山系はそれもありますし、それと中陸の払下げとフランスのが入っているんです。
□勢山系は大正8年、陸軍軍用鳩としてクレルカンの携行した鳩の1羽が、基礎になっている。結局、何羽かきたが、ものになって残ったのは1羽の基礎鳩にしぼられたわけですね。それは民間鳩界発展のため特別な配慮によって、当時の大阪好鳩界会長の故勢山庄太郎に払い下げられた。この特別な配慮というのが、そうですね。公に払下げられたものじゃないということですね。

◇脚注(イレブン挿入)◇
※注1「調査委員長」……「陸軍軍用鳩調査委員会」の委員長のこと。同委員会は、伝書鳩1000羽とクレルカン中尉(他2名)が神戸港に到着した1919年(大正8年)3月31日の翌月、4月に設立し、中野の電信隊の中に事務所が置かれた。委員会の構成は、各師団から将校と下士官約15名召集された。調査委員長とはこの委員会の責任者である。
※注2「クレルカンが帰ったあと」……佛国陸軍のクレルカン中尉、補佐役として同行したストリューブ軍曹、ワキュレイ軍曹ら3人が日本に滞在して軍用鳩の飼育と訓練及び使用法について「陸軍軍用鳩調査委員会」で講習及び指導に当たったのは、1919年(大正8年)4月から1922年(大正11年)3月末までの3年間で、その後、3名は帰国している。
※注3「フランス直輸入」……【今西号】昭12−12306の叔父【仙台号】大13−505B♂清水作の両親は【F23−B♂×中陸大10ーB♀】となっている。この父親[F23−B♂]のことを指しての発言である。
※注4「クレルカンが持ってきていたのを払下げしたらしいのです」……クレルカン中佐は、日本国が購入した1000羽の鳩とは別に、自身が大切にしていた種鳩を持ち込んでいる。マルセイユ港を出発した亜細亜丸には、1000羽用の鳩舎が作られていたが、クレルカン中佐の愛蔵の鳩たちは、この航海中、この時一緒に購入されていた「移動鳩舎」にて飼育されていたと推察される。

(つづく)

 ・  イレブン  2018年10月13日(土) 5:01 修正
●羽に丸みのある小型鳩…………●

■堀場■岩田さんがやめられたのは、これは私の推測ですよ。原因とは言えないかもしれませんが、大阪府へ入りましたからね。終戦後には。大阪アヒルというものがあるんですよ。大阪アヒルというのは、カモとアヒルの交配して出来たので。色白カモなんですね。で、大阪アヒル協会があって、それの所長さんを岩田さんがやっていましたからね。軍人を止めてからずっと大阪にいましたから、何か条件を付けたんじゃないですか。これは推定ですけど。
□そうすると、いわゆる勢山系の原鳩となったというと、釜山〜大阪間渡洋600キロで優勝した鳩というわけですね。その鳩は見たことはありますか。
■堀場■私も見たことないんです。
□その直仔かなにかは……。
■堀場■直仔は見たことがあるんです。それは今西さんのところにいましたからね。
□直仔はどんなタイプですか。
■堀場■ちょっと小型でね。ツチドバいいますが、独特の色ですよ。そうしうてね。羽の非常に丸みのある鳩でね。
□すると主翼全体は長い感じはしないんですか。
■堀場■そうですね。長いという感じはしなかったですね。
□今西に似ているんですか。
■堀場■今西はその仔(※注1:ここで話しているSS278号の直仔のこと)に仮3号というのをかけたのが今西号なんです。
□体としては。
■堀場■釜山帰りの仔というのは、身体は大きくなかったですね。
□目はどうですか。
■堀場■石目のような目で、すこしダークのかかったような目でした。特に特徴があるのは眼環が黒いんです。これは遺伝力が強いですからね。それから、今西さんが入れたので印象に残っているのは、灰でもなんでも色が濃いんです。それは胸から下が急にぱっと白くなるんです。それはいまだに印象に残っていますね。今でもまだ出ていますね。
□それで刺はでるんですか。
■堀場■刺がでるのはあります――。
□ゴールデンスターなんかの、かかった253なんか――。
■堀場■253にはありましたね。ゴールデンスターにはないですね。これは塚本系とかけた――それが昭和16年に神戸の三田という人が、大阪の塚本さんと親交がああってそれで神戸で仔をとったんです。それがほとんど塚本系ですが、それが出るんです。これが勢山に入ってますけどね。そういうのが出るんじゃないですかね

 勢山エスエス系研究A−2 【勢山系原鳩への探求】1「原鳩出所にまつわる「横流し」事件の話」  イレブン  2018年10月14日(日) 5:01 修正
我が国で最も大きな影響を与え続けてきた銘系『勢山系』の原鳩をめぐる探求は、日本鳩界でも長年にわたる大きなテーマの一つであったであろうとイレブンは捉えています。今イレブンが連載しているこの「勢山エスエス系研究」は、これまでの鳩界における研究成果をこのネット上に浮上させ、今も各地で活躍し続けている勢山系に関心を持っておられる方々に何らかの情報提供ができればと思っています。そして、過去の研究成果を踏まえて、一歩踏み込んだイレブン流の考察を加えることが出来ればと考えているところです。ご意見、ご質問等がございましたら遠慮なくお知らせ下さい。

さて、この「愛鳩の友」1970年11月号に掲載されている「在来系の原鳩を訪ねて」(その二)■勢山系の原鳩■は、勢山系研究の上で最も貴重な資料の一つだと考えております。

堀場先生のこの原鳩出所にまつわる「横流し」事件の話は、この時の堀場先生の発言以外に鳩界に残されている資料は、イレブンが知るところどこにも残されていません。
事がことだけに、文書などの資料に残る性格のものでもありませんし、戦前の時代状況からも、この事件についてはごく一部の人たちの間だけで知られていた極秘の事件だと考えられます。なんだか、ドイツ軍の鳩舎から盗んだというヤン・アールデンの原鳩の話と似ていますね。
おそらく、この事実については、細川英次郎氏は当然の如く、関口龍雄先生など戦前からの鳩界の重鎮といわれる方々の中では知られていたことでしょう。しかし、活字として表に出すまでは、この1970年という時代までの時の経過を待つしかなかったのでしょうね。

さて、堀場先生の発言を確認してみましょう。

>>>■堀場■調査委員長をしていた人ですが、軍人ですよ。岩田さんには「伝書鳩」という本もありますよ。その人が、払下げしたわけですよ。払下げは普通仔鳩を5円で払下げしていたんです。そのほかに、フランスからクレルカンが持ってきた鳩を、それを払下げしたわけです。クレルカンが帰ったあとですね。
□その鳩自身をですか。
■堀場■そうです。その鳩自身は払下げすることはできんのですよ。なかなかね。だから廃鳩として払下げしたんです。>>>

実はこのときの堀場先生のひとことの発言が、イレブンが「帝王系トーク」のなかで、
「100年前、日本陸軍の通信軍鳩の指導教官として招聘されたクレルカン中尉が自身の種鳩として持ち込んだ銘鳩達がいました。これらの鳩はZ鳩舎という特別な小屋で飼育されていました。クレルカン中尉がフランスに帰国後、軍の高官を通じて密かにそれらの種鳩を手に入れたのが勢山系の確立者勢山庄太郎氏を中心とする関西の旦那衆たちです。戦後、広島では他の輸入系が混じっていない勢山系を勢山庄太郎のイニシャルをとってS・S系と呼び大切にしていたそうです。この戦前から続くラインからそれこそ無数の超長距離鳩や総合優勝鳩が誕生し続けてきました。帝王系の基礎には、そのエスエス系ラインの本流がしっかり入っています。これが帝王系が日本在来系の銘血と称する所以となるのです」
と述べた根拠なのです。
ここに出てくる「Z鳩舎」については次回述べたいと思っています。お楽しみに!!

(続く)

※画像:「陸軍軍用鳩調査委員会」の事務所の正門


 勢山エスエス系研究A−2 【勢山系原鳩への探求】2「Z鳩舎……『てい談 日本鳩界の開拓者大いに語る』からの考察」    イレブン  2018年10月14日(日) 11:51 修正
 陸軍騎兵少佐岩田厳が勢山庄太郎ら関西の旦那衆相手にクレルカン中尉がフランスから持ち込んだ愛蔵の銘鳩達を横流しした事実については、掘場先生の証言によって明らかになりました。では、その種鳩達は中野電信隊のどの鳩舎にいたものなのかについて探求したいと思います。これについては、様々の傍証を結びつけると「Z鳩舎」以外に考えられないというのがイレブンの結論です。この傍証を詳細に述べようとするとかなりの長い解説になりますので、ここでは主な点だけ述べることにします。(いずれ、近いうちに「クレルカン時代の検証」を再開してそこで詳細な検証をする考えです)

 そもそも、この「Z鳩舎」と呼称されていた鳩舎が存在していたことを証明する資料の出典から説明を始めましょう。この当時の中野電信隊の資料については、敗戦と同時に、ほとんどの資料が証拠隠滅のために焼却され、ほとんど残っていないと云われています。そのため、文書記録によるによる調査は不可能で、当時を知る人の証言によって検証していくしか術はありません。

 その重要な証言が記載されているのが、チャンピオン誌78年12月号に掲載された『てい談 日本鳩界の開拓者大いに語る』です。このてい談の出席者は小野内泰治、小林成光、佐藤金太郎の3氏です。1978年といえば終戦33年目に当たる年です。この時代に、戦前・戦中の鳩界事情を知る人としてはかなりの豪華キャストの鼎談です。簡単に各氏のプロフイールを紹介します。

○小野内泰治……当時の日本伝書鳩協会の会長。昭和6年(1931年)から鳩飼育を始めている。鳩界史資料収集では、鳩界随一と云われている存在で日本鳩界史に関する述作も多い。
○小林成光……云わずとしてしれた成光4・5号の作翔者。昭和3年(1928年)より鳩飼育を始めている。戦争末期には日本軍最後の鳩通信を行った当事者。
○佐藤金太郎……昭和8年(1933年)より鳩飼育を始めている。銘鳩【そよかぜ55号】の作翔者。関東在来の銘鳩、8501号、218号で有名。

 この特集記事は8ページに亘っており、この中で語られている内容は、クレルカン時代から戦前までの日本鳩界を状況を知る貴重な資料となっています。全体の概要を捉えるためにこの記事の小見出しを列挙してみましょう。

◇戦前と戦後の鳩の違い◇
◇戦前の鳩の輸入―中野電信隊のこと―◇
◇戦前の訓練とレースの方法◇
◇Z鳩舎のこと◇
◇参加費に困った学生時代―そして兵役のころ―◇
◇終戦の翌年からレースは開始された◇
◇昔の南部系と成光4号の思い出◇
◇大変だった時計と地図◇

 この内容の全貌につきましては、「クレルカン時代の検証」を再開した際に全文を掲載して引用研究を進める予定です。今回は、先ほどから話題にしている『z鳩舎』の項だけ引用しますね。

 ・  イレブン  2018年10月25日(木) 5:18 修正

 ■Z鳩舎のこと@■鼎談より  イレブン  2018年10月25日(木) 5:19 修正
■小野内■いちばん、今の時代とへだたりがあるのは、今の月給にしたら30万円から50万円とるような人までが、鳩専属でそれ以外の業務を考えないで1年も2年も3年も鳩を管理しているでしょう。そういう人が何千羽入った中から優秀な鳩だけを抽出してZ鳩舎に入れて、また、我々民間にその系統の入った鳩舎がいい成績を上げると、見る目が違ってくる。中野で仔鳩をとって、ある程度飛ばしたということは、日本へ輸入してその年にとった仔鳩が、その翌年に中野から大阪の通信隊の鳩舎に孵ってきているのですよ。400K、クレルカン氏は、もう成功しているんですよ。それから2年ぐらい後には、北海道から中野へ、鳩、帰しているんですよ。だからひじょうに、優秀な鳩もきている反面、失踪しやすいのもきているんですよ。ただ、遠い距離から、確実に早く帰ってきた、そういう鳩を一カ所に収容して、これがピカ一といって収容した鳩舎を我々は俗にZ鳩舎と言っていたんですね。
■小林■陸軍で訓練するのは、中野で訓練するにしても、中野自体でレースやっているわけです。軍で成績を調べるのに、たとえば、1年に2回ないし3回、春2回、秋1回、600Kやるんですよ。大湊あたり。だから、2001,2002という鳩はそれなんですよ。あのときの110羽とかの中で2位が1回、13位が1回とだから確率が高いのを作ると、その成績がいいのが、だいたいZに入ってくるということですよね。
■佐藤■小林さんの成光だとか、小野内さんのドブネズミだとかいう系統も、Z鳩舎からでているんだよね。
■小林■成光の系統をたどると、そうだよね。ベルギーの田部92号の親、あれは私が聞いている範囲では、4号鳩舎って聞いていた。あれは田部さんが持ってきたんだけど。4号鳩舎で、ベルギーとか、フランスとかから、田部さんが持ってきた鳩が多かったのか知らないけど。
■佐藤■田部92も97も、2002も8501も、同じ異母兄弟だった。
■小野内■これは、昭和14年でしたが、中根時五郎さんが、中陸の原簿、ひっくり返して、中根系の全てというんで、当時の『普鳩』へ発表して、、出していますよ。いま、手元にありますけど、あれを見れば、、みな、ひとつの系統だとか、近親だとか言うことが、わかりますよ。(※注:イレブン)それから何千羽入れた中から、何羽も優秀系統は出ていないということが言えますよ。いい例が、天下の銘鳩bPである8501(※注:イレブン)を作った田部さんに聞いたら、「8510……知らねえ」って言うんですよ。ご本人が覚えていなくて、それが銘鳩になっているんですよ。ご本人が覚えていなくて、それが銘鳩になっているんですよ。だから、作った本人が、意識して銘鳩を作ったんじゃなくて、作出して、たまたま飛んだとそうすると、重点的に二重にかけるから、その系統がまたまた、飛んでくると言うことが言えると思うんです。だから、いい例が、鼻コブが大きいやつがいいんだと。よく言われていましたけど、昭和以前に輸入した鳩が、昭和5,6年になれば、7歳、8歳、10歳になって、だいぶ老鳩化してきて、体系的にもボッテリしてきて、年寄り太りになっちゃってる。それを一時期、我々があおったから、あまりいい成績とれなかった。小鳥屋に行くと、また、そういうのが並んでいるんです。鼻コブがでかいからって、喜んで買ってくると。それの子どもが、利根川越したらもう帰ってこない。それで、鼻コブがなくて、ドバトみたいな顔したやつが600キロスイスイと帰ってきてガックリしたことがあるんですよ。だから、いい先生につけばいい弟子ができるのと同じで、その流れに乗ったひとが一番得をした、そういうのが言えると思いますよ。
■小林■2歳ぐらいまでは、鼻コブも大きくならないで、見るからにきゃしゃで、それが4、5年もたつと、思いもよらぬ貫禄がついて、本当に見直すような立派な鳩になるし……。
■小野内■さっきの田部92も、スマートでいい鳩でしたよ。97なんかでかすぎて、食用鳩系だなんて陰口言ってましたよ。山崎さんの鳩舎へ行って8510を掴んだみた時も、これの子どもがなぜ飛ぶんだって、頭をひねりましたよ。1245なんていうのは、良ーく見ていると惚れ惚れするんだけど、ひょういと見ると頭が四角くてね、(※注:イレブン)こんな鳩がなぜ有名になったのかなと思うような鳩もいたんですよ。

※画像:中野通信隊の6号鳩舎。2階鳩舎、1階作業場・物置(『愛國傳書鳩の飼方』白木正光著、昭和11年発行、犬の研究社発行、口絵11より掲載)Z鳩舎そのものとの確証はないが、当時、中野電信隊にはこうした立派な鳩舎があったことを示す貴重な画像)
(以上)

 ■Z鳩舎のことA■『普鳩』昭和18年9月号の特集=将来の鳩を語る=からの考察  イレブン  2018年10月25日(木) 20:47 修正
てい談『 日本鳩界の開拓者大いに語る』では、中野電信隊の敷地内に、優秀な鳩だけを入れる特別な鳩舎があったことが証言されています。その鳩舎のことは『Z鳩舎』と呼ばれていたと言うことです。どうも、この鼎談の会話の雰囲気からは、『Z鳩舎』というのは正式名称ではないようです。おそらく、口絵画像のような鳩舎の中のひとつを特に優秀な鳩だけが入れてある鳩舎の呼称として、そう呼ばれていた理解してよいでしょう。

イレブンが帝王系トークの中で、
〉〉クレルカン中尉が自身の種鳩として持ち込んだ銘鳩達がいました。これらの鳩はZ鳩舎という特別な小屋で飼育されていました。〈〈

と述べているのは、以下のような資料を根拠にしたものです。まず1点目は、クレルカンが持ち込んだという愛蔵の銘鳩の羽数が僅かだったと言うことです。

○「このとき岩田大尉が持ってきた7羽は大阪の勢山、徳永、重根、京都の影山、清水、家村らに譲り渡された。のちに勢山系を継承する細川英次郎は「ほんとうにこの7羽は優秀でした」と語っている。7羽はのちに勢山系、今西系、西川系の系源となっていく」(レース鳩誌2010年8月号P96「勢山庄太郎が築いた礎」荒井忠尋より引用)

 この記述からクレルカン中尉が持参した秘蔵種鳩はここにある7羽程度の少数だったと推測できます。荒井氏はこの記述の根拠となる資料の出典を示されていません。文面から、おそらく、細川英次郎へのインタビュー記事を根拠とされていると考えられます。(※現在調査中)
 第2点目は、クレルカン中尉一行と1000羽の鳩が神戸港から東京中野まで列車で到着した当時の中野電信隊に準備していた鳩舎どのような作りだったのかという点です。
 このことが分かる『普鳩』昭和18年9月号の特集「=将来の鳩を語る=」という座談会の記事につぎのような証言が記載されています。この座談の出席者は、いずれも当時の鳩界の重鎮です。関口龍雄先生もご出席ですね。永代静雄は『普鳩』の主催者です。では関係がある部分だけ引用します。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
○長谷氏の想出話

■永代■現代の鳩はとにかく昔の鳩に比べ進歩しているとして、鳩をこれまでにして来た過去の事柄で、面白かったこと、苦心したことを一つお話し下さい。長谷さん中陸の初めの頃のお話しでも何かございませんか。
■長谷■そうですね。一番初めに鳩が輸入されたときの話でも一つしましょうか。
 一番初めに鳩が入ったのは大正8年に四王天中尉がまだ中佐でフランスに駐在武官として行って居られて、あちこち奔走して輸入されたんですが、この鳩もシベリア出兵に使用する条件で持ってこられたのです。
 鳩が日本に来る途中、招聘武官クレルカン夫妻と子供に下士官夫妻と、独身者の下士官を四王天中尉が付き添って、客船に乗せてくれぬので貨物船に乗って神戸に輸送して来た。なにしろ貨物船のことなので50何日か掛かって来ました。(※注:イレブン)この間は皆して鳩の世話をして来たんだそうです。
 後で聞いた話ですが、私はその時東京へ笑然赴任を命ぜられ交通兵団司令部付なので常時岡山に居った私は交通兵団と言えばその頃通信と鉄道だったから、びっくりして聞いてもらったですが、鳩が来るからその方をやるのだ言う事で驚いて、無我夢中で赴任してきました。
 そのうちに電報で鳩が神戸に来たと言って来たので迎えに行けと言って来たので通訳と雇員を連れて神戸に行った。鳩を積んだ船が到着すると、フランス人が来て握手をして話し掛けてくる、私は佛欄西語をやったんだが一こうに話が通ぜず、通訳もまた同様で駄目。四王天中尉が通訳してくれてやっと話が出来て東京へ連れて帰ってきた。
 当時の鳩小屋は雇員の樋口の設計で鳩舎を作って待っていたが、とうとう鳩を入れると言う時になって、クレルカンからこれは駄目だ。改造せよといわれて困った。まず鳩舎に付いて居る分解式バラックの移動鳩舎に鳩を一時入れて改造したが。用意して置いた鳩舎の何処が悪いと言うと、クレルカンがこの鳩舎ではどうして鳩を捕らえるのかと言う、そう言われると天井の高い鳩舎で今まで鳩は手綱で捕らると言うと鳩を荒くするから駄目だと言う、こんな風で大急ぎで鳩舎を改造した始末でした。また一方、人の問題では鳩を飼う者が居ないので鳩が来てから人を雇ってどうにかこうにか飼育をやって行った。その教育が面白い、いくらクレルカンが小言を言っても通じないので手真似でやったり、通訳付きでやる、それでもだんだん分かってきて、充分に教育が出来るようになってきたんですがね。
 その後やっている内に鳩が増加してきて困ってきたので、その処分として民間に鳩を払下る様にした。その時には奨励の意味で良い鳩を出しましたよ。クレルカンが自分で良い鳩を見ては、希望者に渡したんですからね。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

※下画像:クレルカン中尉等一行が大正8年4月1日に東京に到着した際の貴重な画像。『歴史写真』大正8年5月号(歴史写真会発行)収録の画像です。「キジバト(鳩通信班)」さんのブログ(https://twitter.com/kijibato_hato)より画像を引用収録しました。こちらのブログは、あの『軍鳩の友』を主催されている日本軍用鳩愛好会会長さんです。以前、イレブンにもメールを頂いたことがあります。ちなみに先日届いた「レース鳩」誌2018年10月号にも同じ画像が掲載されていましたがこちらの方が画像が鮮明のようです。画像のタイトルは、『佛國陸軍より寄贈したる傳書鳩及び其の教官クラツキカン少尉の入京』です。注目されるのは「佛國陸軍より寄贈したる傳書鳩」の一言です。これは、実際には1000羽の鳩は相当な高額よって購入された鳩たちですが、対外的には、こうした報道をされていたようですね。ちなみに、このときの契約金額は、「当時47000フラン→当時20210円→現在156486030円(1億5648万6030円)」でした。(※クレルカン時代の検証U クレルカン時代幕開けへの道
第8章(5)C 仏国教官傭聘及び伝書鳩一千羽輸送計画の推移)より

では、この画像のキャプションの文章を起こしてみましょう。

○「今から言えば数十年の昔、露土戦争や普佛戦争の時、伝書鳩は戦場の軍事通信に使用せられて驚くべき偉功を奏したのであるが、その後無線電信電話等の発達に依り、伝書鳩の必要は感じなくなったが、這次の欧州大戦に図らずも是が文明の戦争に無くてはならぬ通信機関であることが立証せされ、佛國を始め各国陸軍に於いても再び飼育することとなった。写真は佛國陸軍から我が陸軍に寄贈したる雌雄一千羽の傳書鳩とともに大正8年4月1日東京に到着したる峡間クラツキカン少尉の一行で、右より少尉、同夫人、ストリーブ軍曹、同夫人等、また、4月2日中野電信隊に於て、クラツキカン少尉傳書鳩の練習を試みつつあるところである」

 このキャプションからすると、この画像は、東京駅到着時の4月1日の画像と4月2日の中野電信隊の鳩舎の前で撮影された画像を合成した画像のようです。ちなみに「クラツキカン少尉」とは「クレルカン中尉」のことです。日本到着時は「少尉」だったということのようです。

クレルカンさん達一行が到着した当時の東京駅付近のカラー映像です。1000羽の伝書鳩たちが目にした当時の日本の雰囲気が伝わってきます。

https://www.youtube.com/watch?v=Qndcio-NjYY

 訃報  ひろひろばー  2018年10月22日(月) 14:41
修正
堀場系の 坂本年幸氏は 亡くなられました 御冥福を 

 ご冥福をお祈りします。  イレブン  2018年10月22日(月) 20:21 修正
ひろひろばー様

 坂本様のご消息をお知らせいただきありがとうございました。もう30年前の出会いでしたのでご存命であればとも思っていましたが、残念です。
 坂本様が広告で堀場系の銘鳩達を紹介されていなければ、掘場先生が世に残された銘鳩たちの姿も歴史の闇に葬られていたことと思います。イレブンが知る限り、堀場系の銘鳩達の画像はこれまで坂本様の広告の記事以外で見かけたことはありませんでした。

 2018年秋 300キロレース 結果 【菊花賞】9位・10位入賞  【一般】10位入賞!!  イレブン  2018年10月21日(日) 12:37
修正
高分速レースでしたがなんとか3羽入賞できました。菊花賞では連合会30位以内に5羽入れることが出来ました。トップ集団について行けています。
いよいよ次は秋最終の500kです。

◇10/23日現在帰還率 31羽参加15羽帰還 48%

【菊花賞】
《連合会9位》18−0321BC♂[分速1397.630m]【源流秘蔵岩田号】×【源流パール号】
《連合会10位》【ブラックパールヴェロニカ2号】18−0362DC♂[分速1392.566m]【ブラックパール号】×【銘鳩ベロニカ】

【一般】
《連合会10位》【源流モンスター801号】17−0801B♀[分速1116.579m]【【モンスターキッド号】×【光輝クイン2世号】※700K後日◎異母兄弟配合 

 【菊花賞】《連合会9位》18−0321BC♂【源流秘蔵岩田号】×【源流パール号】  イレブン  2018年10月21日(日) 16:01 修正
撮影:10/21

 《連合会10位》【ブラックパールヴェロニカ2号】18−0362DCW♂【ブラックパール号】×【銘鳩ベロニカ】  イレブン  2018年10月21日(日) 16:02 修正
撮影:10/21

 【一般】《連合会10位》【源流モンスター801号】17−0801B♀【  イレブン  2018年10月21日(日) 16:03 修正
700K6位【源流モンスターキッド号】×【源流光輝クイン2世号】
※源流モンスター号の異母兄弟配合18年春700キロ36日目帰還
撮影:10/21

 ◇25K訓練1回→300Kジャンプ組帰還鳩@18−0370BC♂【  イレブン  2018年10月21日(日) 16:50 修正
撮影:10/21 【源流モンスター】×【源流1918】
※25K訓練よりジャンプで300K参加、翌日8:25に帰還しました。

※姉18ー0291BC♀ 18年秋100K1位

 2018年秋 300キロレース  速報 参加31羽 現在帰還15羽  イレブン  2018年10月20日(土) 18:11
修正
 高分速、低帰還率のレース展開のようです。所用で外出していて午後4時頃帰宅したら帰還8羽でした。午後1時半ぐらいから、鳩の帰還ありません。以下が現在の結果です。
 80K訓練から4日ほど前に後日帰還して300Kに参加した【源流モンスター801号】もちゃんと帰っていました。ブラックパールベロニカ3兄弟で300キロに参加した2羽の2号3号も帰ってます。自鳩舎2位から5位までが源流系主力異血ラインのひとつ[欧州超長距離ライン]でした。意外と高分速レースで活躍するんですね。このラインはもともとスピードバードのラインから生まれたミュータントと考えた方が良いというようなことをスネークパパさんが以前おっしゃっていたことを思い出しました。今後の展開が楽しみです。
 今夜は記録審査にいけませんのでクラブ長さんにメモリを持って行ってもらいました。ちなみにクラブ長さんの所では分速1470m出ていたそうです。イレブン鳩舎の結果は明日書き込みます。入賞出来ればと思いますが、自鳩舎1位でも1400mぐらいなのでチョット難しいかも……。

【当日記録8羽】
@【菊花賞連合会9位】[分速1397.630m]【18−0321BC♂【源流秘蔵岩田号】×【源流パール号】
A【菊花賞連合会10位】[分速1392.566 m]【ブラックパールヴェロニカ2号】18−0362DC♂【ブラックパール号】×【銘鳩ベロニカ】
B【菊花賞連合会16位】[分速1335.130m]【18−0350BC♀【源流グランデ号×【モンスターGG号】
C【菊花賞連合会23位】[分速1247.601m]【18−0334BLKCW♂【銘鳩モスクワ号】×【モスクワクイン】◎自身×孫配合
D【菊花賞連合会27位】[分速1245.211m]【【ブラックパールヴェロニカ3号】18ー0363BW♀【ブラックパール号】×【銘鳩ベロニカ】
E【一般連合会10位】[分速1116.579m]【源流モンスター801号】17−0801B♀【モンスターキッド号】×【光輝クイン2世号】※700K後日◎異母兄弟配合
F【菊花賞連合会48位】[分速1042.323m]【18−0341BC♀【パールJr】×【W1918】
G【菊花賞連合会52位】[分速929.728m]【18−0357BC♀【源流秘蔵岩田号】×【源流パール号】
当日8羽

【翌日帰還】
H[7:34]18−0367BC♀【2代目源流留萌キング号】×【岩田モスクワクイン号】
I[8:07]18−0339BC♂【菊池キング】×【光輝クイン2世号】
J[8:25] 18−0370BC♂【源流モンスター】×【源流1918】※25K訓練よりジャンプ
K[9:04] 18−0348B♀【異血250号】×【クイン900】
L[17:37]18ー0366BW♀【2代目源流留萌キング号】×【岩田モスクワクイン号】

翌日計5羽  合計13羽

◎目標の15羽まで後2羽です。

【3日目】帰還無し
【4日目】2羽帰還 計15羽
M[午前]18−0336BC♀【源流日本海号】×【ルモイブラッククイン】※100K10位
N[午前]18−0319BC♂【異血241号】×【スタークイン号】





 300K翌日風予測  イレブン  2018年10月21日(日) 4:29 修正
今日も追い風のようです。飛び越していってしまった鳩たちは逆に帰りにくいでしょうね。


 2018年秋 300キロレース  イレブン  2018年10月19日(金) 5:45
修正
 300キロの持ち寄りが一日早い今日になりました。
 そういえば3日ほど前、連合会の80キロ訓練で未帰還になっていたこの春700K後日の鳩【17−0801B♀】が帰ってきていました。どこで遊んでいたんでしょうね。今は稲刈りで食べるものには不自由がないのでしょうね。元気そうなので出そうと思っています。上画像の鳩です。昨日撮影しました。両親は父親が同じ源流モンスター号の異母兄弟配合です。この鳩は一度もつがったことがありません。母親の選手鳩時代も同じでした。「メスメスのオスのメス」のようです。

 300Kの持ち寄りに行ってきました。  イレブン  2018年10月19日(金) 21:47 修正
 今日持ち寄りに行ってきました。参加31羽です。25K訓練からジャンプ組が10羽ほど加わっています。それに80キロ訓練の後日が2羽加わっています。200キロ後日で、尾翼や副翼等を抜き取られた鳩はリタイヤです。色々考えたのですが、やっぱり秋は最低300kまでは持って行くようにしました。来春のことを考えると、ここら辺りまでで苦労させておきたいと思っています。全体として半数の15羽が帰ればいいのかなと思ってます。さて、結果はどうなるでしょう。

風予想では、完全に結構な追い風です。


 ・  イレブン  2018年10月20日(土) 3:54 修正

 放鳩当日の朝の空  イレブン  2018年10月20日(土) 7:03 修正
快晴です。つまり、猛禽日よりですね。トップ集団に入りきれないと襲撃に遭っているようです。ここは運も大きな要因ですね。

 源流系資料  金姫号の両親  イレブン  2018年10月8日(月) 6:30
修正
掲示板の過去ログデータを見ていたら源流金姫号の母親の画像が載っていたので掲載します。父親【源流スター号】の若い頃の画像もありましたので掲載しておきますね。
2007年の12月の記事でしたから、金姫号誕生の前年の画像です。

 源流金姫号の父  イレブン  2018年10月8日(月) 6:34 修正
源流スター号

 源流金姫号  イレブン  2018年10月8日(月) 6:36 修正
孫、700K当日優勝源流253クイン号

 画像資料【源流金姫号】  イレブン  2018年10月20日(土) 3:16 修正
若き頃の金姫号

 金姫号全兄弟1  イレブン  2018年10月20日(土) 3:17 修正

 金姫号全兄弟1 源流初菊号 500キロ10位  イレブン  2018年10月20日(土) 3:26 修正

 若き頃の金姫号 2  イレブン  2018年10月20日(土) 3:39 修正

 『鳩飼いの人生』、 1982年1月17日に書いていた未公開原稿  イレブン  2018年10月15日(月) 5:24
修正
 昨日、昔の資料を整理していたら、イレブンが北九州から実家に戻ってきた翌年の1月に書き留めていた文章が出てきました。なぜ、このような文章を書き留めていたのか、とんと思い出せないのですが、読み返してみると、今連載している「勢山エスエス系研究」に無関係でもないので掲示板に掲載することにしました。
 まだ、イレブンが独身の頃の文章です。文章の稚拙さがちょっと恥ずかしいところもありますが、若さ故のことですのでご容赦下さいね。たしか、この2年前ぐらいにイレブンはスネークパパさんに出会っています。若い頃、こんなことを考えていたんだと懐かしい気分になりました。

 ■未公開手記 『鳩飼いの人生』 1982年1月17日記  イレブン  2018年10月15日(月) 5:26 修正
 まだ、駆け出しに過ぎぬ私がこんなテーマで文を書こうと思ったのはある鳩飼いの一老人に会ってからのことである。
 昨年、友人の結婚式に出るために京都まで出かけた。せっかく京都まで出てきたので鳩を見たいと思い、この老人の家まで行った。特に知人の紹介とか前もって連絡することもなく、いきなりの訪問である。私は、あまり計画性がないのでいつもこんな風にして失礼を覚悟の上で訪問することが多いのだが、この時もそんな風であった。しかし、この時はさすがに、緊張気味であった。そのわけは、この老人(こんな表現は失礼にあたるかもしれないが)は、日本鳩界の大御所、とか、最長老とまでいわれている老人だったからで、玄関払いくらうのが落ちではないかという不安があったからだ。
 住所だけを調べていたので、探すのに手間がかかった。近所の花屋さんでその人の名前を聞いたところ、そのおばさんは、「その名前の人は近所に何件かあるのでよく分からない」という。私は「あのー、その人は鳩を飼っているひとなんですが」というと、そのおばさんは、すぐピンときたようで「ああ、あの伝書鳩のおじいちゃんのことね」 といって、その家を教えてくれた。私は「伝書鳩じゃなくて、レース鳩というんだ」と言おうと思ったが、おばちゃんにとってはあまり関係がないことなので、急いでその家まで行くことにした。「こんにちは、ごめん下さい」私はできるだけ好印象を与えるように丁寧な発音で2,3度、玄関から呼んでみた。「こんにちは、こちらが掘場さんのお宅ですか、堀場[金市]郎さんの……」と呼んでいると、戸がガラッと開き、以前、本で見たことのあるその人の顔がぬっと出てきた。
 今さら私が掘場氏のことを話す必要のないほど、この人の名前は知られている。日本鳩界の長老、堀場系の確立者、銘鳩舞鶴号の作出者、等々、京都鳩界の大御所である。私がこの堀場鳩舎を訪問しようと思い出したのは、3,4年ほど前からである。ひとつには、堀場系の本家がどのような鳩なのかということを知りたかったこと、もうひとつには、戦前の勢山系、今西系、西川系といった日本在来系がどんな鳩であったのかを直接聞こうという気持ちがあったからである。なにしろ、この人は日本鳩界史の生き証人とも言える人だったからである。
 その日は、夕暮れも差し迫っていたので自分の自己紹介と挨拶だけして、翌日の朝に再訪することにした。翌朝、早速訪問し、裏庭にある鳩舎に案内してもらったが、「年の始め頃から病気で鳩の世話が出来なかった」と最初に言われた。鳩を見せてもらい、以前から、聞きたかったことをそれぞれ質問した。それぞれに丁寧に応えてもらうことができた。昼から友人の結婚式に行かなければならなかったので1時間ほどで失礼することになったが、多くのことを学ぶことが出来た。
 面白く思ったのは、掘場氏の鳩舎である。ずいぶん古い鳩舎だと思ったので「これはいつ作られたのですか」と聞いたら、「昭和14年に自分で作った鳩舎です」と云われた。ということは、今から43年前の鳩舎である。京都は大体において古い街である。戦争の時もここは空襲がなかったからだと聞いたことがあるが、なにしろ、今から43年前以前からある鳩舎と知り驚いてしまった。同時に、何気ない顔でそのことを話された掘場氏の顔を見たとき、この方は本当に鳩一筋で生きてこられた人なんだなあとということを感じた。大正時代から飼い続け、今も毎日、体の具合が良くないといいながらも、鳩舎の掃除は行き届いているし、キチッと餌をやってあるようだった。本当に鳩に魅せられ続けた人生を生きてこられたんだなあということを、身近に接した人柄の中に感じさせられた。
 以前、細川英次郎氏が、どこかで「私の長い人生の中で鳩によって学べたことは、ひとつのものを作り上げる喜びでした」と書かれていたのを読んだことがあるが、この掘場氏も、鳩というものの中から何か深いものを見いだしてこられた「境地」のようなものをさりげなく話される言葉の中から感じ取れた。
 鳩レースの世界は、勝負の世界である。それだけにレースの勝敗は誰でもが表情に出す人も出さない人も、勝てば嬉しいし,負ければ悔しい。自負心が強い人がこれだけ多い世界も少ないんじゃないかと思うときもある。とともに、本当に味がある人が多い世界でもある。鳩を飼っている人は概して個性派の人が多い。そんな世界だけに鳩に対する考え方、捉え方も人それぞれで一様ではない。それがこの世界を更に面白くしている。そんな鳩の世界での出会いは、更に味のあるものを醸し出させる。
 掘場氏との出会いもそんな出会いだった。この時の出会いから、私の中で勝ち負けを超えたところで自分を深めていくような「鳩飼いの人生」への憧れが生まれたように率直に思っている。
 鳩舎を後にする際、掘場氏が云われた言葉が心に残った。私が「早く健康になって長生きして下さい」というと「来年まで命があったら、又、雛を作るので暇があったら、また、遊びにおいで」、と。
――「来年まで命があったら、…………」。大正時代から、鳩とともに生きてこられた掘場氏のこの言葉にずっしりとした重みを感じた。私はこの掘場氏との出会いのことを知人にこんな風に語った。
「オペルさんとは、ひょっとしたらこんな人だったのでは……」
                                     以上

 掘場先生への回想  イレブン  2018年10月19日(金) 22:03 修正
 堀場先生のお宅へ初めてお邪魔したのは、この手記を書いた前年の夏の終わりか秋の始め頃だったと思います。当時、イレブンの弟が京都に住んでいたこともあり、京都に出向いたときは、その後も、弟の下宿先から掘場先生のお宅に幾度か訪問した記憶があります。しかし、通い始めてそれほど経たないある日、堀場宅にお邪魔した際に、奥様から掘場氏の入院を知らされました。そして程なく堀場先生が亡くなられたことを知りました。初めて訪問した時から幾年も経ってなかったと思います。つまり、イレブンの堀場先生との出会いは、堀場先生の最晩年の僅かな期間だったという事になります。 鳩一筋に生きてこられ銘系堀場系を世に残されてきた最晩年の堀場先生には、矍鑠(かくしゃく)としたお人柄の中ににじみ出てくるなんとも言えない暖かさがありました。それだけに、未熟でむき出しの若さだけしかなかった当時のイレブンには強烈な印象として映ったのだろうと思います。そして、その時の強い印象がきっとこの手記を書く契機になったのだろうと思っています。

 先日から「勢山エスエス系研究」の中で掘場先生の勢山系原鳩にまつわる貴重な証言を掲示板に書き込んでいる時、イレブンの脳裏には、ご自宅の裏庭にあった1坪半ぐらいの小さな手作りの鳩舎の横でご自慢の栗胡麻の雌を見せていただいていた堀場先生との思い出のシーンが蘇っていました。

 堀場先生の勢山系の原鳩についての貴重な証言を掲示板に掲載したことで、掘場先生との出会いを回想するきっかけとなりました。また、資料整理をしていて出てきた20代の頃に書いた「鳩飼いの人生」という手記を、36年後、定年を過ぎた今の自分がこんな形で読み返すとは、当時、夢にも思っていなかったことでした。そして、この手記に書いている堀場先生との出会いから学んだこととイレブンがこの「スネークパパの部屋」でやってきたことがこんなに繋がっていることに少なからずの驚きを覚えました。人生、人との出会いがこんな風に繋がっていくんですね。
 イレブンにとって忘れることのない堀場先生との出会いの回想でした。

※画像:この手記を書いた当時(36年前頃)のイレブン鳩舎の選手鳩の画像

 ◇上記選手鳩の両親◇ ■イレブン鳩舎初期基礎鳩■  イレブン  2018年10月20日(土) 2:54 修正
●左画像:父親【3代目ムロタ羽幌号】帝王パパ作( ムロタ羽幌号の兄×2代目ムロタ羽幌号)※ムロタ羽幌号3重近親

●右画像:母親【スネークパール号】スネークパパ作(GNスネークブラック号×スネークイーグル号の姉)

 【3代目ムロタ羽幌号】の目  イレブン  2018年10月20日(土) 3:03 修正

 ■研究資料■西川系の原鳩  イレブン  2018年10月18日(木) 4:59
修正
 現在、「勢山エスエス系」の研究の連載執筆中ですが、掘場先生への回想から堀場系の探求に話題が進んでいます。っていうか、話が脱線しているんですが、さらに脱線することしました。いつものことですが……。しかし、こうした脱線も、「勢山エスエス系」の研究を進める上では意味があると思っています。その理由のひとつとして、話題の展開が広がることで、勢山系が誕生した時代の全体像が垣間見れるようにも成るからです。まあ、言い訳ですけど……。

 さて、西川系の原鳩についてです。実は、この西川系については以前から調査依頼があっていたました。資料は、ずいぶん以前から手元に持っていたのですが、公開しないままになっていました。今回は、堀場系に話が向かい、当然、超長距離時代の核となる系統として時代を席巻した堀場系の基礎系である西川系が話題の焦点となっています。せっかくですから、ここでちょっとじっくり整理したいと思います。
 ただし、以下の資料の中で掘場先生が「西川系というのは私もよく分からないんですよ。ただ、記録が全然なくて早いと云うことだけが分かっているんですね」と述べておられますように、西川系ははっきりしていないところがたくさんある系統のようです。しかし、ここでも掘場先生の発言が、日本在来銘系を探る貴重な証言となっています。では、資料を引用しますね。

 在来系の原鳩を訪ねて(その5) ■西川系の原鳩■  イレブン  2018年10月18日(木) 5:03 修正
◇在来系の原鳩を訪ねて[その5]西川系の原鳩 日本レース鳩協会参与 堀場[金市]郎 (愛鳩の友71年3月号P120〜121)

●鳩は葬式に関係していた●

――西川系についてお話し下さい。
■堀場■西川系というのは私もよく分からないんですよ。ただ、記録が全然なくて早いと云うことだけが分かっているんですね。この系統は、大正8年、中陸から払い下げられた鳩から出ていることは間違いないところです。
――年齢的には今西さんとどちらが上ですか。
■堀場■西川宗七といいますが、今西さんより少し下です。京都の人でそうれん屋です。――そうれん屋で鳩を飼っていたんですか。
■堀場■昔は鳩も葬式に関係していたんですね。昔の葬式は行列がずーっと歩いて行ってその時の供養のため、放鳥といいましてね。鳩をカゴからパッと放す風習がありまして、今でも当時の立派なカゴが残っていますよ。その頃、今西小三郎というカゴ屋がいまして、この人が京都の鳩界の草分け的存在になっていたんです。明治20年代から仔をとっていたといいますからね。まあ、この前後の鳩は土鳩よりチョットましだというかんじだったわけです。
 それが、中陸から払下げを受けてから格段に進歩した。もちろん、西川さんは在来系もずいぶん手がけていましたし、たくさん買ってもいますが――。京都では中陸からのは来下げ第1号が西川さんだったんですね。羽数は2羽でした。
 西川系に記録が全然残っていないのは、まあ、その頃のことでしたから珍しくはないのですが、西川さんが文盲だったせいなんです。中陸への払下げの申請も知り合いのも農林技師に書いてもらったという話が伝わっています。
 そのほかではっきりしているのは、基礎鳩がクリだったことです。このことは中陸がフランスから鳩を入れていた事実と、宇津木系の基礎鳩もクリで、中陸の系列に入ることから、これは確認されるのです。

●クリの値が上がった理由●

――中陸は意識してクリを放出したのでしょうか。
■堀場■それはなんとも言えませんが、当時はあまり色にはこだわらない時期でしたね。フランスのクリと言えばシオンを連想しますが、2羽の払下げを受け、その仔を取り出して、出したところよく飛ぶし、よく帰るので、皆びっくりしちゃった。今聞くと嘘みたいな話ですが、先に金(かね)を預けておかないと、鳩を預けてくれないんですよ。おまけに高い鳩でね、当時の金(かね)で一腹30円ですから、今の貨幣価値に換算すると、10万円ぐらいになりますか。しかも、前金でね。
 その頃は競り市があって、どこでもいろいろなものが買えたのですが、西川さんのおかげで、どこでも、クリの値が上がってしまったんですよ。しかも、それが土鳩であっても上がったんですよ。
――掘場さんは宗七さんをご存じだったのですか。
■堀場■知っていました。宗七さんも知っていましたが、その弟に西川丑之助というのがいまして、私はこれ親しかったわけです。
――宗七さんはいつ亡くなったのですか。割合早かったのですか。
■堀場■早かったほうですね。60でしたから。その後は丑之助が継いでいます。

●売れた契約条件は地獄でも●

――宗七さんの人柄は。
■堀場■正直で良い人でしたよ。若い時に宮相撲に出ていたというだけあって、体格も大きくて、チョット向う意気が強くて。しこ名は”放れ駒(はなれごま)”と言っていたそうです。
――掘場さんが西川系の鳩を手がけられたのは何時頃からですか。
■堀場■昭和9年からです。それ以前はいろいろな鳩を飼ってみましたが、駄目でしたね 。その前後ですよ。日本伝書鳩協会ができて、そろそろクリが盛りを過ぎてゆく時代は。成績の面では別に衰えたという兆候はなかったのですが、何しろ買上をしてくれなくなりましてね。
――そうするると、西川さんの全盛期というと。
■堀場■やはり大正ですね。先にお話ししたように、前金で、しかも最高値の仔がどんどん売れたのですから。
この時の契約条件は地獄です。いわゆる売った鳩が戻ってきたら返さな。そのままになってしまう。極楽というのは、戻ってきたら小米何升か持って挨拶に行けば返してもらえるというような契約ですが、西川さんの鳩は、一番厳しい地獄で契約してドンドン売れたのですから、まあ、全盛期でしたね。
――羽色はクリということですが、タイプとしてはどんな感じですか。
■堀場■羽は非常に良かったですね。長さがありましたし、まあ、今西ほどではないにしても、面積も十分で、とにかく良い鳩でした。骨格は中型でしたね。

[以上]

 ■研究資料■ 銘系 堀場系の代表鳩たち  イレブン  2018年10月16日(火) 21:22
修正
 銘系堀場系では、わずか1坪半ぐらいの小さな堀場鳩舎から、銘鳩舞鶴号を始めとする数々の銘鳩が誕生しています。そして、その子孫達は、「桁外れの大活躍」と称されるほどの見事な歴史の残しています。挙げるときりがありませんが、代表的な記録のみ列挙しますね。
■稚内1500キロ 【黄金キング号】
■羽幌1400キロ総合優勝【竜王5号】
■羽幌1300K7位【長春1号】
■余市1200キロ総合優勝【鳩王号】
■1000K総合優勝
■800K地区N総合優勝
■700K地区N総合優勝
■700K近畿ダービー当日1羽帰り総合優勝
■600K優勝
■500K宮杯優勝
 なんと言ってもこの中で有名なのは【竜王5号】と鳩王号を生み出した石田5万系の基礎鳩【61−4770BC雄】でしょうね。しかも、【竜王5号】は、スネークスター号及びその全兄弟の雌スネーク号の父親である【竜王枡田号】と関わってきます。つまり、この【竜王枡田号】は竜王5号の直系の鳩であり、【竜王5号】がスネーク系帝王系の重要基礎鳩となるのです。後に詳しく述べますが、竜王5号の作翔者桝田氏は、竜王5号を堀場系と関東銘系をミックスして生まれた銘鳩として捉えていました。つまり、堀場系は、スネーク系、帝王系の重要な柱のひとつとも言えるのです。

 福岡県田川市の堀場系研究鳩舎で有名な坂本年幸氏は、『愛鳩の友』誌の掲載された広告欄のなかで、堀場系を次のように紹介されています。

◇競翔界に君臨する=堀場系=舞鶴号・797の近親系◇
往年の関西鳩界にあっては、常勝鳩舎の名をほしいままにした、故西川宗七氏西川白足輪系にはじまり、、堀場[金市]郎鳩舎(翔道七段)に入舎後、堀場氏の特異な選鳩・配合・手腕により、近親競翔固定された系統である。競翔界においては、抜群のスピードを誇り、根性のある鳩群を輩出している。その活躍ぶりは、関西鳩界・中国鳩界・(特に石田五万系)・東北鳩界・九州鳩界においておびただしい総合優勝鳩を多数輩出している。
◇◇◇

 イレブンは、堀場系の系源やその特質をこれほど的確に紹介されている文章を他に知りません。さすが、堀場系研究鳩舎と看板を上げておられるだけのことはありますね。
 実は、イレブンは、この坂本さんの鳩舎にも30年ほど前に一度お邪魔したことがあります。現在はどうされているんでしょうか。当時の坂本鳩舎には明るい柿目を中心としたひとつのまとまりのある銘鳩の一群がずらっと鳩舎の中にいたことを覚えています。イレブンはこの時見せてもらった素晴らしい背筋を持つ胡麻の雌のことを今も覚えています。
 堀場系とはこの系統紹介文にありますように同じ京都の西川系の後継鳩舎とも言えるのです。そして、スネーク系、帝王系の重要な柱となっている基礎系なのです。特に、帝王系では、その【竜王5号】のラインを更に強めて系統作りをされています。帝王パパさんが[帝王ロフト.com]の基礎鳩の1羽に【竜王5号】の画像を【天龍号】と並べて掲載されているのには、こうした理由があるのです。

 では堀場系の代表鳩の画像を紹介しますね。

 堀場797号  イレブン  2018年10月16日(火) 21:25 修正

 堀場舞鶴号  イレブン  2018年10月16日(火) 21:26 修正

 堀場906号  イレブン  2018年10月16日(火) 21:27 修正

 堀場113号  イレブン  2018年10月16日(火) 21:28 修正

 堀場434号  イレブン  2018年10月16日(火) 21:29 修正

 堀場442号  イレブン  2018年10月16日(火) 21:30 修正

 イレブン編「スネーク系の系源」における堀場系研究の足跡  イレブン  2018年10月16日(火) 21:44 修正
以前連載研究した「スネーク系の系源」での第5章「竜王5号系探索」のところで、堀場系の徹底調査をしています。この文章を読むと堀場系が当時の広島在来系の重要な飛び筋ラインだったことが分かりますので、少々長い文章ですが、ここに引用しておきますね。

※画像:竜王5号及び系統図

 スネーク系の系源 第5章  竜王5号系探索4   イレブン  2018年10月16日(火) 21:51 修正
■竜王5号系探索4 〔竜王5号の父親のライン〕1 竜王5号の祖父【36−126007BW森沢作】探索■

前回、竜王5号の祖父【36−126007BW森沢作】の父親のラインの探索を行いました。そしてそこには、広島在来系の形成史上大きな存在であった浜岡氏、森沢氏、そして名人柳浦昇氏らの作出鳩たちが登場しました。そして、この【36−126007BW森沢作】が、竜王5号の祖父に当たるだけでなく、藤田雅昭氏の畢生の銘鳩【ブチブル号】の祖父にも当たる鳩であり、「中国鳩界で重要な種鳩」であったと言うことが判明しました。広島在来系の重要な飛び筋のラインであったということでしょう。


次に母親ラインの探索です。

○母57−806320BC堀場作

 ○2代祖父52−0797BC堀場作

   ○3代曽祖父【舞鶴号】18−5012BC堀場作
   ○3代曽祖母50−7730BC堀場作
               
 ○2代祖母54−111112BC並河作

   ○3代曽祖父53−19674BC並河作32年全国農林杯  
   ○3代曽祖母53−19656BC小野宏作ファブリー系

さて、竜王5号の祖父【36−126007BW森沢作】の母親【57−806320BC堀場作】について「解説」では

「中型の大で、メスメスのオスの方のメスである。毛質、にぎり、肉持ち、ともによく、やや重みのある感じで少しスピードは落ちるが、おっとり方である。孫鳩、ひ孫鳩に1000キロ鳩あり。」

とあります。ここにある「メスメスのオスの方のメス」との表現は、この記事を書いた筆者の判断ではなく、そのように説明を受けたことを記述されたものと考えられます。そうすると、当時の広島や呉の愛鳩家の間、さらには、作出者である堀場氏の選鳩の着眼点の一つであったとも推測されます。この「メスメスのオスの方のメス」、更に「オスオスのメスのオス」という理論についてイレブンは、「ムロタ稚内3号の母(黒真珠号)」「三代目ムロタ羽幌号」を手にしたとき、スネークパパさんから教わったことがありました。確か、天才について遺伝学的な研究がされている本から、そうした理論の存在を教えていただいたように記憶しています。ここではあまりに横道に入りますのでふれませんが、ここにある「メスメスのオスの方のメス」という記述から、この堀場作の【36−126007BW森沢作】の母親【57−806320BC】が非凡な種鳩だったと言うことが伺えます。

さて系図をたどっていきますね。

この「メスメスのオスの方のメス」である【57−806320BC】の父親は、広島在来系のおいてきわめて重要な銘鳩【52−0797BC♂堀場作】です。この【797号】について解説では

「堀場氏の誇る銘鳩5021舞鶴号の直仔で、7730との配合は大成功であり、ちょっとみられない優秀な鳩であった。根性、スピード、体力ともに充実していた。126007号はこの血を多分に引いていたようである。広島地区でよく飛んで話題になっている五万系の原鳩でもあり、多数の長距離鳩が出ている。」

とあります。竜王5号の祖父である「126007号はこの血を多分に引いていたようである」との解説です。ここで、竜王5号の系統について作翔者桝田隆敏氏が「堀場系である」と説明していた理由が見えてきました。竜王5号の主流となる血統は、桝田氏の目には、次のような堀場系のラインとしてつながっていたのだと考えられます。

◎舞鶴号→797号→126007号→竜王5号

そして竜王5号は堀場系が主流糸であり、他は異血として使っておられたのだと推測されます。このように考えるとこの竜王5号探索シリーズの冒頭に紹介した桝田隆敏氏の次の発言の意味が鮮明となってきます。

『主力は関西系。この鳩は堀場系ですが、関西の山場に強い系統と東京のよい系統を二代から三代にかけて、地形と気温、風土にあった鳩を作っていくことですね。東京方面の鳩を持ってきても、そのままでは成功せんようですね。僕が血統について思うには、呉地方で昔から飛ぶ筋がおるでしょう。そう言う筋に関東の銘血をさしていったら、うまくゆくんじゃないかなということです。土地にあった鳩づくりが、レースに強くなる方法だと思います。』

こうした意味から、ここでしばらく竜王5号の主流系である堀場系【舞鶴号→797号】について徹底追跡をしたいと思います。

 ■堀場系【舞鶴号→797号】について徹底追跡   イレブン  2018年10月16日(火) 21:53 修正
竜王5号の祖父【36−126007BW森沢作】が堀場系の主流ライン【舞鶴号→797号】の血を強く引き継いだ鳩だと言うことが分かってきました。ここに出てきた【797号】は「堀場氏がもっとも大切にしていた種鳩で、九州の淵上氏、広島の石田氏、、そのほかへ移って、数々の1000キロ、900キロ鳩を作出している」(愛鳩の友誌1968年11月号P16)と言われている鳩です。この【797】の直仔のなかで特に有名なのが、石田五万系の基礎配合【61−47710BC堀場作×54−12075Bw細川作】の【61−47710BC堀場作】の父親が【52−0797BC堀場作】です。この五万系基礎配合から、【草津姫号】1200キロ優勝の【CH鳩王号】、1000キロ優勝【スターキング号】、羽幌1400キロ【石亀号】をはじめとする無数の超長距離鳩が輩出しています。また、この草津姫号の妹の石田号の直仔が岡山平松宝鳩舎の1300キロ4位【長春1号】です。母親が’【797】の孫になります。(下画像参照)

 ・  イレブン  2018年10月16日(火) 21:54 修正

 ■堀場系と舞鶴号→797号   イレブン  2018年10月16日(火) 21:57 修正
堀場氏が大切にしていた【797号】の父親【舞鶴号】の堀場系の形成については、以前、イレブンの連載「超長距離時代の群像 第2章 広島在来系黄金時代」の中で取り上げて解説していますので、その文章をここで確認して更に追求していきたいと思っています。

『堀場先生は、先の「糞かき50年を顧みて」の中で、ご自身の系統の基礎系についてこう述べられています。

「昭和9年8月西川荘七氏より入手した系統が『骨格構成』が良くないので陸軍購買には失格の仔鳩が多かった。その頃、一番合格鳩の多かったのは益川靖雄氏『ハイツマンのシオン系』であった。そこで骨格の良い系統を物色中、大阪塚本系『仏軍用鳩系』を須広の三津氏にお願いして現在の私の系統のに改良する事が出来ました。」

これによると、堀場系は西川系に、シオン系あるこのいはそれに近い系統をミックスして形成されていたようです。この「大阪塚本系『仏軍用鳩系』」がシオン系の鳩だとすると、この導入をされた時期は、前後の文章では昭和14年のようですから1939年ごろということになります。1947年1月にポール・シオンは死去していますので、まだ、ポールシオンが存命中の話ですね。

ポールシオンは1946年11月、米国のフォスタに送った手紙の中で数多くの良鳩をフランス軍の要求で失ってしまったことを伝えています。(※「鳩と共に70年}より)このことからすると、堀場先生が導入して西川系の改良に使った鳩が、ポール・シオンの鳩の流れにあった可能性は大きいと考えられます。

そして、その2年後、この新たに加えた系統の成果が現れます。関西初の北海道レース昭和16年6月1日京都参加数116羽で翌日帰還鳩9羽の時、堀場先生の愛鳩も第7位で記録しています。この時の北海道レース(何キロなのか不明)を帰した鳩舎には、宇津木氏3羽、今西氏1羽、並河氏1羽など名前も記載されています。こうした名人たちが活躍していた時代の話です。

さらに、これらの系統の流れから生まれた氏の代表鳩である舞鶴号の名前の由来について次のように述べられています。時代を感じる話です。

「日本軍用鳩協会も戦時体制となり国防鳩隊が組織せられました。京都支部では、敦賀港と舞鶴要塞京都師団司令部間の通信連絡を命ぜられたために訓練を行いました。
京都北部の会員は舞鶴方面に十数回訓練致しました。一朝大事の場合に使用出来得る為に、私の種鳩に舞鶴号といふのが居ります。之に使用する為訓練した鳩であった為この名称をつけたのです。之の仔鳩。797号の系統は戦後活躍してくれました。」

国を守るために鳩が活躍していた時代があり、舞鶴号は、その一端を担って活躍した「国防鳩隊」の銘鳩だったのです。』
(「超長距離時代の群像 第2章 広島在来系黄金時代 ◎参考資料 堀場氏と舞鶴号」より引用)

ここに見られるように堀場系とは西川系の土台として、体型改善のためにシオン系を異血として改良された系統だと言うことが分かります。一般に、堀場氏は西川系の後継鳩舎として認識されていました。

そして、この【797】が、石田五万系をはじめとする広島在来系の飛び筋ラインを形成する上できわめて重要な鳩だったと言うことが見えてきました。ここでひとまずこの【797】のラインの系図を整理してみます。

■【52−0797Bc♂】戦後堀場系代表種鳩


●父【舞鶴号18−5012BC】

 ○2代父【16−71499B】400キロ
      ○3代父【14−22999B】
           ○4代父【11−7976B】600キロ
                ○5代父【B31−20000467×6−5007今西】
                ○5代母【10−610B原田】
           ○4代母【13−25951B】
                ○5代父【11−7982B】800キロ
                ○5代母【11−7969B】600キロ(◎9−8647林×◎9−9734西川)
      ○3代母【14−13429B】
           ○4代父【10−39830B】(大阪・塚本)
           ○4代母【10ー39813BW】(大阪・塚本) 

 ◎2代母【9ー9734BC】(西川)
     ○3代父【大12−K24−224】(西川)
     ○3代母【8−21104Bp】(田中良造)

●母【50−7730BC】

 ○2代父【49−5885BC】
      ○3代父【17−59256BC】
           ○4代父【15ー33395BC】800キロ              
                ◎5代父【9−8647B】(林)
                ◎5代母【9−9734BC】(西川)
           ○4代母【11−52810B】(大阪・伊知地)
      ○3代母【22−13255BC】
       ○4代父【14−22999B】
         ○5代父【11−7976B】
           ○6代父(【B31−20000467×6−5007今西】)
           ○6代母【10ー610B】(原田)
         ○5代母【13−25951B】 
            ○6代父【11−7982B】800キロ
                ○6代母【11−7969B】600キロ(◎9−8647林×◎9−9734西川)
       ○4代母【19−11159BC】※舞鶴号全兄弟
        
 ○2代母【18−5028BC】
      ○3代父【15ー33415B】師国長杯
           ◎4代父【9−8647B】(林)
           ◎4代母【9−9734BC】(西川)
      ○3代母【17ー21734BC】
           ○4代父【15ー33395BC】800キロ             
                ◎5代父【9−8647B】(林)
                ◎5代母【9−9734BC】(西川)
           ○4代母【11−52810B】(大阪・伊知地)

                             

797号の系図について調査可能なところまで調べたらここまでの系図が限界のようです。クレカン時代までさかのぼっていますね。この系図を丁寧見見ると堀場系代表種鳩【797号】はかなりの極近親配合による作出鳩だと言うことが見えてきます。

(1)舞鶴号×(舞鶴号の妹【19−11159BC】×舞鶴号の祖父【14−22999B】)

更に基礎系の西川系から見るとこの【797号】の系図に何度も出てくる配合(【9−8647】×【9−9734】)が気になります。この配合から【797】を見ると次のような構成になっていることがわかります。

○父舞鶴号(【8647×9734】のひ孫)×【9734】

○母7730(【8647×9734】の6重近親)

となり、 【9−9734】西川作♀の8重近親鳩と言うことになります。ここまでくると、堀場系の基礎系にあたる西川系そのものの知識がなければこの重近親の意味は理解できませんね。そこで、いったん、西川系の関する資料を紹介します。(イレブン注:堀場先生の「西川系の原鳩」の記事で紹介)    

■銘鳩【堀場797号】の画像がやっと見つかりました。傑出した銘鳩であったことがこの画像からも十分伺えますね。「堀場氏の誇る銘鳩5021舞鶴号の直仔で、7730との配合は大成功であり、ちょっとみられない優秀な鳩であった。根性、スピード、体力ともに充実していた。」との解説に納得してしまいます。   

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スネークパパの部屋